麻布十番の妖遊戯
「そうよね。いるわけないのよねえ。おかしいわね、夢でも見たのかしら」

 昭子は小首を傾げ、人差し指をこめかみにやる。

「そうですよ。夢ですよ。寝ぼけてます? ふつう夢はみないんですけどねえ」

 太郎がふきんを持ってきてこたつの上を拭き始めた。

「何ぬかしてんだい。この世を楽しんでんだからいいじゃないか。人は夢をみるもんだろう?」

「あー、はいはいそうでしたね」

 太郎と昭子の掛け合いを聞いていた侍は、すっかりきれいに平らげたぼた餅の入った箱を自分の横に置く。中は空っぽだけど、まだ餡が残っているのだ。

「それにしても背中が痛いわ。誰かに蹴られたみたいに痛い」

 昭子が己の背中を手で摩る。首を左右に振ったり、伸びをしたりして体をほぐしてみる。

 目を合わせた太郎と侍は、「寝すぎですよ」「そんな硬い床で寝るから」と昭子を納得させにかかるが、バレるのは時間の問題かもしれないと感じた。
 昭子は恐ろしく感がいいのだ。

 話を変えないときっとこの空気を感じとって昭子が怒る。そうなると面倒くさい。まだ時間はあるが、今夜は早めに太郎が、

「お。来たみたいだぜ。じゃ、そろそろ始めるぜい」

 と、素早くこたつの上に蝋燭を乗せた。
 侍も首振り人形のように小刻みに首を振る。

 昭子がなにやらゴタついたことを言い始めているが、無視し、ふうっと火を消したのだった。
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