麻布十番の妖遊戯
 司は家族の後をおろおろと着いて歩いては「何してんだよ。おい、どういうことだよ。なんでこんなことしてるんだ、説明しろ!」と、怒鳴る。罵る。威嚇する。

 己のことば全てが聞こえていないことがもどかしいのか、髪の毛を掻き毟りながら子供や妻に摑みかかるがその手は届かない。
 もどかしくもすり抜ける。地団駄を踏む。

 一線を越え、こちら側とあちら側の住人になったのだ。
 通じるものはなにもないことをこの時まざまざと思いしらされた。

「いいわね。全部持ったわね。自分たちの証拠となるものは全て、片付けたわね?」

 妻が無造作に自分の夫の眠る柩の中に投げ捨てたのは、家族写真だった。
 その他、晩年になって司が作った家族旅行で撮ったたくさんのアルバム、大切に取っておいたお土産、こどもが書いた作文、司が一番大事にしていた家族の写真が、ゴミのように投げ捨てられた。自分の亡骸の上に。

「なんでだよ」

 解せない。家族の行動の意味がわからない。
 頭を抱えて自分の亡骸の横に膝をつく。顔に乗っかっているのは、息子にあげた時計だ。格好つけて自分の形見だと言い、生前に渡していた。
 時計を顔からどかそうとしてもその手に時計の硬さを触ることはできない。
 お腹の上には娘に買ったネックレスが引きちぎられて投げ捨てられている。
 足元には、妻に送った結婚指輪が、そして結婚十周年の記念に買った指輪までもが投げられていた。

 思い出のすべてが捨てられている。
 司は自分が死んでから家族に捨てられたことをこのとき悟った。
 要らない物に埋もれている己の顔は哀れだった。
 物がなくなった家は声がよく響いて、そして空気が乾いていて冷たかった。

 妻が赤いポリタンクを運んできた。
 娘も息子も同じようにポリタンクを運んでくる。
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