麻布十番の妖遊戯
「あの男はこれからどうするんだい? 太郎。さっき死神が降りてきてただろう? 楽しみ、取られちゃうんじゃないのかい?」

 昭子が太郎から酒を受け取りながら、「なあ、そう思うだろう?」と侍に同意を求める。

「ちょっと待って待って。勝手に話してないで私にも教えてくださいよ。ぜんぜん話見えないですけど」

 分厚いノートを抱えたたまこがどこからともなく現れ、三人に事の成り行きを話してくれとせがむ。
 たまこは三人に置いてかれたのだ。話についていけなくてふくれっ面をしている。

「たまこちゃん、留守番ありがとう。おかげで心置きなく仕事ができて助かったぜ」

 太郎がたまこの頭を撫でた。

「あとでちゃあんと話してやるから待ってなさいな。今日はもう夜が明けるだろう? あんたに話してやりたくても時間がないのさ」

 昭子もたまこの頭を優しく撫でる。

「もうそんな時間?」

 たまこが影の内から出て、玄関を少し開けてうっすらと明るくなり始めた空を見て悲しい顔をする。
 この後どうなるのかわかっているのだ。

「おい、お前おでん盗み食いしてねえだろうな」

 侍が勢いよく影の内から飛び出し、思い出したかのように台所に走る。おでんの鍋を覗き込んで中身を確認する。

「盗み食いなんてしないよ。侍さんじゃあるまいし」とたまこが侍にもんくをいう。

 そんなやりとりを横目に太郎が、

「あいつはあそこで延々と掘れない土を掘っているさ。時がくるまでね。その後は瑞香さんにブチ殺されるだろう」

 意味深に鼻で笑った太郎を見て、二人は、納得したとばかりに頷きあった。

「時が来るまでねえ。ほんと太郎ちゃんも人が悪い。って、人じゃあないか」

「全く、楽しませてくれるやつだ」

「何言ってんですか、俺は悪くなんかないですよ」

 と畏まって言っている太郎も、隣で笑っている昭子と侍の姿も、たまこが少し開けた玄関の隙間からオレンジ色の光が線状にさしてきたのに刺し消されるように、夜の彼方へと薄く溶け込んで行った。

 たまこだけを残して。
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