愛と夢と…
吉沢くんが拾ってくれたタクシーに乗って着いたのは、1棟のアパートだった。
「ここは…?」
「俺の家。」
階段を上がる吉沢くんの後ろをついていく。
彼の背中を見つめながら慎重に上がる。
鍵を開け、ドアが開く。
電気のついた部屋を見て驚いた。
「もしかして、1人で住んでる?」
「そう。高校生男子の一人暮らし。」
そこ座って。
そう促された場所に私は静かに腰を下ろした。
「温かいものを飲もう。こういう時は温かいもの飲んだ方が良い。」
「ありがとう。」
温かい紅茶の入ったカップを受け取る。
吉沢くんも同じカップを持って私のすぐ隣に座った。
吉沢くんの入れてくれた紅茶を口にする。
不思議と体の奥の奥から温かい気持ちになっていくような気がした。
「あのさ、1つだけ現実的なこと確認していい?家の人心配しない?」
「大丈夫。お母さんは夜に仕事してるの。だから私なんかいてもいなくても一緒。いつも入れ違いなの。顔を合わせない日もある。」
そっか、と呟いた吉沢くんは
ふぅふぅと紅茶を冷ましている。
「…ごめんね、迷惑かけて。」
私がボソッと呟くと、
吉沢くんの規則正しい息の音が止まった。
カップをテーブルにコトンと置く。
「謝らないで。こうなった原因は俺にある。」
「ちがう、吉沢くんは悪くない。」
「違わないよ。」
「だからちがうってば……!」
つい語気が荒くなる。
勢いよく隣の吉沢くんへ顔を向けると、
彼の表情からは感情が感じられなかった。
ただ、私の目を真っ直ぐ見ていた。
「いい?違わないんだ。この件は笹本さんに何も責任はない。」
吉沢くんの瞳は、私を真っ直ぐに捕えている。
その漆黒な瞳に吸い込まれてしまうのではないかと錯覚してしまうほど、彼の視線は強い。
でも、不思議と怖いとは思わなかった。
私たちはしばらくお互いの瞳の奥をじっと見ていた。
そして私は、黙って頷いた。
私が頷くと、吉沢くんの瞳に感情が灯されたような気がした。
表情も心なしか柔らかくなっている。
「…吉沢くんが二分町に入っていくのを見た時、何か分からないけどすごく不安になったの。それで勝手に追いかけた。そしたらあの人たちに捕まった。」
ごめんね、と再び言いかけて私はその言葉をグッと飲み込んだ。
これ以上謝っても吉沢くんを追い詰めるだけだ。
「ねぇ、聞いてもいい?吉沢くんはどうしてあんなとこにいたの?なんでそんな格好してるの?」
そう言いながら喉の奥で声が詰まった。
今にも泣き出しそうなのを必死に堪える。
吉沢くんが口を開くのをじっと待つ。
彼がなぜそのような状況に在ったのか。
私はその理由を理解しなくてはならないような気がした。
「んー…なんて言えばいいかな…」
視線を斜め上に逸らし、空間の一点をじっと見つめる吉沢くん。
「生きてくためにやらなきゃいけないことをしてたって言えばいいかな。」
「そんな格好良くキメて女の人と歩くことが?」
「そうだね。」
「……何してたの?」
私は恐る恐る聞いてみた。
何となく予想はついている。
でも、返ってくるであろうその答えを信じたくない気持ちでいっぱいだった。
吉沢くんは少しだけ顔を動かし、目を細めてゆっくりと私に視線を向けた。
その瞳はまた感情を失ったように淀んでいた。
「ヤってた。」
「え……」
「女の人と寝て金貰ってた。」
目の奥に溜め込んでいた涙が頬を静かに一筋つたった。
口の中が異様に渇いて言葉が出てこなかった。
壁時計の音だけが静かに響いている。
心臓が大きな音をたてている。
「…いつもそういうこと、してるの?」
やっと絞り出した声はとても掠れていて、まるで自分の声じゃないみたいだった。
「いつもではないかな。金がキツくなったらやってる。それに、自分の気晴らしにもなる。」
「そうなんだ…」
再び短い沈黙が流れた。
「笹本さんはこんな俺を心配して追いかけてきてくれた。ほんと、悪いのは俺でしょ。怖い思いさせてごめん。」
「ううん、そんなことない。」
そんなことない。
もう、さっきの恐怖は吉沢くんが拭ってくれてどこかに行ってしまっていた。
それよりも、彼がなぜそんなことをしなきゃいけないのか。
彼のおかれている状況に私は混乱していた。
「…お母さんやお父さんは?」
「いるよ。いるけど一緒に住んでない。あの人たちが苦手なんだ。」
吉沢くんは、一瞬悲しそうにふっと笑った。
私を捕らえていた瞳が静かに伏せられる。
ネクタイをグッと緩め、髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
顔を下に向けたまま呼吸に合わせて肩がゆっくり動く。
「笹本さんやっぱ今日帰った方いいよ、俺送るから。」
「一緒にいてくれるんじゃないの?」
「何だかすごい変な気分なんだ。俺のせいで笹本さんを危ない目に合わせてしまった。なのに、今すぐ笹本さんを抱きしめたい。この状況で抱きしめたら何するか分からない。さっきあんな目にあわせてしまったのにこんな感情を抱いている自分がすごく汚くて嫌だ。だから、帰った方が良い。何か起きる前に。」
「いやだ、絶対にいや。」
今、ここで吉沢くんを1人にしてはいけない。
直感的にそう感じた。
「抱きしめればいいじゃん、それでもダメならヤればいいじゃん。それで吉沢くんの気持ちがおさまるならいいよ、別に。」
「…自分が何言ってるかわかってんの?」
「分かってるよ。十分すぎるぐらい分かってる。さっきあんな目にあったんだよ?分かってるよそりゃあ。でも、」
私は吉沢くんを救いたい。
彼は何かに苦しんでる。
私と同じ想いをしているのだ。
絶対に放っておいてはいけない。
「それでも私は、吉沢くんといたい……」
私は声を震わせながら、力なく垂れていた吉沢くんの左手を右手でぎゅっと握った。
どこからこんなに涙が溢れてくるのだろうか。
吉沢くんと出会ってからまだ数ヶ月なのに、その間一体どれだけの涙を流したのだろう。
吉沢くんの左手がピクッと小さく動いた。
そして、彼の左手が私の右手を強く引き、
次の瞬間には下から吉沢くんを見上げていた。
私を見下ろす彼の表情は、見たこともないぐらい熱を帯びている。
瞳はゆらりと揺れ、どこを見ているのか良く分からない。
テーブルの上から手探りでリモコンを探し当て、
吉沢くんは部屋の電気を消した。
カーテンの隙間から月明かりが差し込む。
吉沢くんの唇と私の唇がそっと重なる。
私は吉沢くんの温もりをしっかり確かめるように意識を彼にだけ集中させた。
しばらくお互いを確かめたあと、一旦唇を放す。
「ねぇ、名前呼んで。」
吐息交じりの掠れた甘い声が私の耳元をくすぐる。
「名前…?」
「そう。呼んでほしい。」
吉沢くんが私の耳に口づける。
何度も何度も啄むように。
電流が流れたような強い刺激が全身を巡った。
「ん…ちょっと…」
「お願い、呼んで。」
何度も何度も繰り返される口づけ。
私の髪を撫でながら、それは耳の裏、そして、首筋へと雨のように降り注がれた。
「あ…っ、歩夢、くん…」
私が名前を呼ぶと、
吉沢くんが満足そうに微笑んだのを暗闇の中で感じた。
「ありがとう。」
彼の低く優しい声を耳に感じる。
そして私たちは、どちらからともなくまたお互いの唇を求めた。
彼はすがりつくように私の唇を求めた。
何度も何度も繰り返し私を求めた。
どんどん息遣いは激しくなり、このままどこまで行っても良いとさえ思っている自分がいる。
「はぁ…んっ…」
キスをしている間、吉沢くんはずっと髪を撫でてくれていた。
吉沢くんの手が制服のリボンに伸びる。
優しく、丁寧にリボンを解き、
露わになった私の鎖骨に口づけを繰り返した。
彼に触れられたところの全てに鋭い神経が通っているみたいに、私はそのひとつひとつの動きに敏感になっていた。
どのくらいそうしていたか分からない。
さっきまで差し込んでいた月明かりは、気づいたら既になかった。
私たちは2人でタオルケットにくるまっていた。
吉沢くんの腕に抱かれ彼の鼓動を近くに感じる。
「いいのキスだけで?しなくていいの?」
「何で女の子がそういうこと聞くかな。いいんだよ、しなくても十分満たされた。すごい心が潤った。ありがとう。」
そして、吉沢くんは私の瞼に軽くキスをした。
「ねえ、俺のこと好き?」
「んー…分からない。」
ここまでの関係になってもなお、私は自分の気持ちが良く分からなかった。
吉沢くんのことは気になるし絶対に離しちゃいけないとも思う。
でもその気持ちは、恋愛的なものとはどこか違う気がしていた。
「吉沢くんは?私のこと好き?」
「んー…分からない。でも、本当に特別な存在。他の誰にも代えられない人ではある。」
「じゃあ私もそれで。」
「じゃあ、ってなんだよ。」
吉沢くんは可笑しそうに小さく吹き出した。
私たちはそのまま、ひとつのベッドに身を寄せ合って静かに眠った。
「ここは…?」
「俺の家。」
階段を上がる吉沢くんの後ろをついていく。
彼の背中を見つめながら慎重に上がる。
鍵を開け、ドアが開く。
電気のついた部屋を見て驚いた。
「もしかして、1人で住んでる?」
「そう。高校生男子の一人暮らし。」
そこ座って。
そう促された場所に私は静かに腰を下ろした。
「温かいものを飲もう。こういう時は温かいもの飲んだ方が良い。」
「ありがとう。」
温かい紅茶の入ったカップを受け取る。
吉沢くんも同じカップを持って私のすぐ隣に座った。
吉沢くんの入れてくれた紅茶を口にする。
不思議と体の奥の奥から温かい気持ちになっていくような気がした。
「あのさ、1つだけ現実的なこと確認していい?家の人心配しない?」
「大丈夫。お母さんは夜に仕事してるの。だから私なんかいてもいなくても一緒。いつも入れ違いなの。顔を合わせない日もある。」
そっか、と呟いた吉沢くんは
ふぅふぅと紅茶を冷ましている。
「…ごめんね、迷惑かけて。」
私がボソッと呟くと、
吉沢くんの規則正しい息の音が止まった。
カップをテーブルにコトンと置く。
「謝らないで。こうなった原因は俺にある。」
「ちがう、吉沢くんは悪くない。」
「違わないよ。」
「だからちがうってば……!」
つい語気が荒くなる。
勢いよく隣の吉沢くんへ顔を向けると、
彼の表情からは感情が感じられなかった。
ただ、私の目を真っ直ぐ見ていた。
「いい?違わないんだ。この件は笹本さんに何も責任はない。」
吉沢くんの瞳は、私を真っ直ぐに捕えている。
その漆黒な瞳に吸い込まれてしまうのではないかと錯覚してしまうほど、彼の視線は強い。
でも、不思議と怖いとは思わなかった。
私たちはしばらくお互いの瞳の奥をじっと見ていた。
そして私は、黙って頷いた。
私が頷くと、吉沢くんの瞳に感情が灯されたような気がした。
表情も心なしか柔らかくなっている。
「…吉沢くんが二分町に入っていくのを見た時、何か分からないけどすごく不安になったの。それで勝手に追いかけた。そしたらあの人たちに捕まった。」
ごめんね、と再び言いかけて私はその言葉をグッと飲み込んだ。
これ以上謝っても吉沢くんを追い詰めるだけだ。
「ねぇ、聞いてもいい?吉沢くんはどうしてあんなとこにいたの?なんでそんな格好してるの?」
そう言いながら喉の奥で声が詰まった。
今にも泣き出しそうなのを必死に堪える。
吉沢くんが口を開くのをじっと待つ。
彼がなぜそのような状況に在ったのか。
私はその理由を理解しなくてはならないような気がした。
「んー…なんて言えばいいかな…」
視線を斜め上に逸らし、空間の一点をじっと見つめる吉沢くん。
「生きてくためにやらなきゃいけないことをしてたって言えばいいかな。」
「そんな格好良くキメて女の人と歩くことが?」
「そうだね。」
「……何してたの?」
私は恐る恐る聞いてみた。
何となく予想はついている。
でも、返ってくるであろうその答えを信じたくない気持ちでいっぱいだった。
吉沢くんは少しだけ顔を動かし、目を細めてゆっくりと私に視線を向けた。
その瞳はまた感情を失ったように淀んでいた。
「ヤってた。」
「え……」
「女の人と寝て金貰ってた。」
目の奥に溜め込んでいた涙が頬を静かに一筋つたった。
口の中が異様に渇いて言葉が出てこなかった。
壁時計の音だけが静かに響いている。
心臓が大きな音をたてている。
「…いつもそういうこと、してるの?」
やっと絞り出した声はとても掠れていて、まるで自分の声じゃないみたいだった。
「いつもではないかな。金がキツくなったらやってる。それに、自分の気晴らしにもなる。」
「そうなんだ…」
再び短い沈黙が流れた。
「笹本さんはこんな俺を心配して追いかけてきてくれた。ほんと、悪いのは俺でしょ。怖い思いさせてごめん。」
「ううん、そんなことない。」
そんなことない。
もう、さっきの恐怖は吉沢くんが拭ってくれてどこかに行ってしまっていた。
それよりも、彼がなぜそんなことをしなきゃいけないのか。
彼のおかれている状況に私は混乱していた。
「…お母さんやお父さんは?」
「いるよ。いるけど一緒に住んでない。あの人たちが苦手なんだ。」
吉沢くんは、一瞬悲しそうにふっと笑った。
私を捕らえていた瞳が静かに伏せられる。
ネクタイをグッと緩め、髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
顔を下に向けたまま呼吸に合わせて肩がゆっくり動く。
「笹本さんやっぱ今日帰った方いいよ、俺送るから。」
「一緒にいてくれるんじゃないの?」
「何だかすごい変な気分なんだ。俺のせいで笹本さんを危ない目に合わせてしまった。なのに、今すぐ笹本さんを抱きしめたい。この状況で抱きしめたら何するか分からない。さっきあんな目にあわせてしまったのにこんな感情を抱いている自分がすごく汚くて嫌だ。だから、帰った方が良い。何か起きる前に。」
「いやだ、絶対にいや。」
今、ここで吉沢くんを1人にしてはいけない。
直感的にそう感じた。
「抱きしめればいいじゃん、それでもダメならヤればいいじゃん。それで吉沢くんの気持ちがおさまるならいいよ、別に。」
「…自分が何言ってるかわかってんの?」
「分かってるよ。十分すぎるぐらい分かってる。さっきあんな目にあったんだよ?分かってるよそりゃあ。でも、」
私は吉沢くんを救いたい。
彼は何かに苦しんでる。
私と同じ想いをしているのだ。
絶対に放っておいてはいけない。
「それでも私は、吉沢くんといたい……」
私は声を震わせながら、力なく垂れていた吉沢くんの左手を右手でぎゅっと握った。
どこからこんなに涙が溢れてくるのだろうか。
吉沢くんと出会ってからまだ数ヶ月なのに、その間一体どれだけの涙を流したのだろう。
吉沢くんの左手がピクッと小さく動いた。
そして、彼の左手が私の右手を強く引き、
次の瞬間には下から吉沢くんを見上げていた。
私を見下ろす彼の表情は、見たこともないぐらい熱を帯びている。
瞳はゆらりと揺れ、どこを見ているのか良く分からない。
テーブルの上から手探りでリモコンを探し当て、
吉沢くんは部屋の電気を消した。
カーテンの隙間から月明かりが差し込む。
吉沢くんの唇と私の唇がそっと重なる。
私は吉沢くんの温もりをしっかり確かめるように意識を彼にだけ集中させた。
しばらくお互いを確かめたあと、一旦唇を放す。
「ねぇ、名前呼んで。」
吐息交じりの掠れた甘い声が私の耳元をくすぐる。
「名前…?」
「そう。呼んでほしい。」
吉沢くんが私の耳に口づける。
何度も何度も啄むように。
電流が流れたような強い刺激が全身を巡った。
「ん…ちょっと…」
「お願い、呼んで。」
何度も何度も繰り返される口づけ。
私の髪を撫でながら、それは耳の裏、そして、首筋へと雨のように降り注がれた。
「あ…っ、歩夢、くん…」
私が名前を呼ぶと、
吉沢くんが満足そうに微笑んだのを暗闇の中で感じた。
「ありがとう。」
彼の低く優しい声を耳に感じる。
そして私たちは、どちらからともなくまたお互いの唇を求めた。
彼はすがりつくように私の唇を求めた。
何度も何度も繰り返し私を求めた。
どんどん息遣いは激しくなり、このままどこまで行っても良いとさえ思っている自分がいる。
「はぁ…んっ…」
キスをしている間、吉沢くんはずっと髪を撫でてくれていた。
吉沢くんの手が制服のリボンに伸びる。
優しく、丁寧にリボンを解き、
露わになった私の鎖骨に口づけを繰り返した。
彼に触れられたところの全てに鋭い神経が通っているみたいに、私はそのひとつひとつの動きに敏感になっていた。
どのくらいそうしていたか分からない。
さっきまで差し込んでいた月明かりは、気づいたら既になかった。
私たちは2人でタオルケットにくるまっていた。
吉沢くんの腕に抱かれ彼の鼓動を近くに感じる。
「いいのキスだけで?しなくていいの?」
「何で女の子がそういうこと聞くかな。いいんだよ、しなくても十分満たされた。すごい心が潤った。ありがとう。」
そして、吉沢くんは私の瞼に軽くキスをした。
「ねえ、俺のこと好き?」
「んー…分からない。」
ここまでの関係になってもなお、私は自分の気持ちが良く分からなかった。
吉沢くんのことは気になるし絶対に離しちゃいけないとも思う。
でもその気持ちは、恋愛的なものとはどこか違う気がしていた。
「吉沢くんは?私のこと好き?」
「んー…分からない。でも、本当に特別な存在。他の誰にも代えられない人ではある。」
「じゃあ私もそれで。」
「じゃあ、ってなんだよ。」
吉沢くんは可笑しそうに小さく吹き出した。
私たちはそのまま、ひとつのベッドに身を寄せ合って静かに眠った。