愛と夢と…
吉沢くんのアパートから学校までは五駅も離れているので、どんなに急いでも昼休み前の四限に到着が精一杯だった。


授業中の廊下を歩くのは何か変な感じがした。
そして、本当に悪いことをしているという罪悪感でいっぱいだった。


「俺、四限サボるから愛菜1人で行きなよ。」

「え、サボるの?」


いつの間にか吉沢くんが私を呼ぶ一人称が名前になっている。
まるで前からそう呼ばれていたような気がするほど自然だ。


「だってここで2人で教室行ったらどうなる?色々周りに詮索されるよ?俺は適当にかわすから別に構わないけど。」

「そうかもしれないけど…だからといってサボるの?」

「じゃあどうする?2人仲良く「おはようございまーす」って入る?」

「んーーー…」


私たちの内容のない話し合いが廊下に静かに響く。

2人とも授業に出るにはこのタイミングで一緒に入るしかない。
しかしそれには、クラスメイトにあらぬ疑いをかけられるかもしれないという可能性がある。
それを防ぐためにサボると吉沢くんは言っているわけだが、それも何か違う。

上履きのつま先あたりをじっと見つめて考える。
何か良い考えはないものか。

頭をフル回転させている矢先。



「おお、2人ともやっと来たかあ。」



聞き慣れた声のする方へ瞬時に顔を向けると。


「あれ?どういう組み合わせなんだこりゃ。」


私たちのクラスの数学を担当している加藤先生がこちらに向かって歩いて来ていた。
大量のプリントを抱えているから恐らく職員室に取りに戻っていたのだろう。

そして、私と吉沢くんの組み合わせに純粋に驚いているようだ。


「すぐそこで会ったんですよ。」


吉沢くんが咄嗟にその場を繕う。
このダルそうな物言いのお陰である意味いつも通りのリアリティが感じられる。


「あぁそうなの?珍しい組み合わせだなぁ。笹本は遅刻初めてじゃないか?」

「そうですね…したことないです。」

「まあ、そういう時もあるでしょ。次気をつければ問題なし。吉沢は常習犯だからな。そろそろ出席やばいぞ。」

「でもテストの点良いから結果オーライ。」

「自分で言うなよ。とにかく2人とも早く教室入れー。」


加藤先生の登場のせいで結局私たちは2人で教室に入るはめになってしまった。


「…もうなるようにしかならないかなぁ。」


加藤先生が教室に入ったあと、
吉沢くんはボソっと呟き教室に入って行った。

彼のその言葉は一体何を意味しているのか。
私はゾッとしながら彼の後ろをついて行った。


案の定クラスメイトの視線を気持ち良いぐらいに受ける。
なぜかニヤケを抑えられないような様子の理央も目に入る。

…何を1人で妄想してるんだよ。
私は視線で「ちがうよ」と念をこめて送ってみたが相変わらず彼女はニヤニヤしている。
絶対に伝わっていない。

私は心の中で大きくため息をつきながら自分の席に座った。


その後の四限の授業も結局上の空で全く集中できなかった。
しかし、吉沢くんはいつものごとく一瞬で寝てしまった。




四限が終わると同時に昼休みになる。
吉沢くんは授業が終わるや否やどこかに行ってしまった。

自分だけ逃げたな…ずるいぞ。


「ちょっとちょっとちょっとちょっと!」


いつにも増して元気な理央がお弁当片手に、私の席に突っ走って来た。


「さっきのあれなに!?」

「なにって……ねぇ、ここじゃなんだから移動しない?」

「え!てことは、ここでは話せないようなことがあったってこと「「ちがうちがう!」


理央の暴走を止めるが如く、
私は食い気味に彼女の言葉を遮る。


「そういうんじゃなくて。なんかすごい見られてるから話しにくい。」


理央の耳元に顔を寄せて、私は小さく囁いた。

教室に入った時と同じような視線を今も感じる。
特に女子。
私、今度こそいじめられるのかな。



理央は目線だけを左右に動かして周りを見た。
そして、


「なるほど、じゃあどこか静かなとこ行こう。」


どうやら周りの状況を理解してくれたようだ。
彼女は明るくて元気なだけじゃなく、周りを見て物事を判断できるとても頭の良い人なのだ。


「ありがとう。じゃあ、空き教室のベランダ行かない?」

「おけおけ。」


廊下を歩いていても何となく周りからの視線を感じる。

他人からどう思われてるかも気にしないし、
だからこそ他人のことも何とも思わないけど、
さすがにここまで視線を感じると変な気持ちになる。


空き教室に入り、ベランダに出る。
校庭を見下ろせるこの場所はちょうど日陰になっていて、夏の昼間とは思えないほど涼しい。


「さてさて、一体なにがあったの?」


お弁当を開けながら理央はそう言った。

かわいいたこさんウインナーとキャラクターのかまぼこが入っている。
理央らしいかわいいお弁当だ。


「それは……」


色々あった。
恐ろしいほどありすぎた。

全てまだ半日前に起こったことだとは思えないぐらい、短い時間に色々なことがあった。


二分町での恐ろしい出来事。
吉沢くんの複雑であり不思議な生活環境。
そして、そのまま一晩を過ごしてしまったこと。

自分のなかだけで留めておくのには大きすぎる。

でもこれは、私と吉沢くんのなかだけで留めておかなくてはならないような気がした。
どんなに辛く苦しい想いをしたとしても、
絶対に胸に閉まっておかなければならない気がした。


「駅で会ったの。吉沢くんは遅刻早退欠席のプロでしょ?私したことなかったから吉沢くんと来ればどうにかなるかなって思って。」


冷めてて色々無関心で女の子らしくない私にはもったいないぐらい、理央はかわいくてチャーミングな素敵な友達。

だからこそ、そんな理央に嘘をつくのはとてもつらい。
罪悪感で心が侵食されていく。


「なーんだ、そういうことか。たしかに1人じゃ無理だね。愛菜は変なとこでビビリになるから。」

「そう。未知なるものは恐怖しかない。私にとって遅刻は未知すぎるわけ。それに最近文化祭の準備で吉沢くんとよく話すからちょうど良かったの。」

「あーそっか!それは納得!よかったね、仲良くなれたんだ!」


理央はとても嬉しそうにしている。
彼女なりに私が吉沢くんとうまくやれるのか心配してくれていたようだ。


「うん、仲良くなったよ。普通に友達って感じ。結構話すよ。」

「いいなぁ。ねえ、私にも色々歩夢くんのこと聞かせてよ!」

「有益な情報があればもちろん。お楽しみに。」

「やったね。」


私がニコッと微笑むと理央はそれ以上の笑顔を見せた。
まるで、笑顔が一面に咲いたように見えた。



そして、理央は「何組の誰々くんがカッコいい」とか「新作のコスメがどう」という話を楽しそうに始めた。
肩のあたりで柔らかく内巻きになっている髪が、彼女が話すたびにゆらゆら揺れる。



理央、ごめんね。
いつかちゃんと話すから。


彼女の笑顔の横顔を見つめながら、
私は心の中でそう決めた。
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