愛と夢と…
もやもや
西陽が窓から差し込む。
「この部分はどうする?」
「んー…マイナー調かなぁ…ちょっと1回やってみよ。」
吉沢くんと遅刻した日から1週間が経ったある日の放課後。
今日も今日とて私たちは演劇の曲作りをしている。
あの日、教室に入った私たちを驚きの目で見ていたクラスメイトから特に何かを言われるということもなく、まさかの平和に1週間が過ぎたのだ。
私としては何も言われない方が都合は良い。
だから、良い意味で予想を裏切られたということになるけど、ここまで何もないのは逆に不思議だなぁとも感じる。
吉沢くんは真剣な眼差しで複数のパターンのメロディを奏でていた。
彼がこんなに真剣な表情をするのは私が知る限りピアノに向かっている時ぐらいだ。
普段、せっかくの綺麗な瞳はボンヤリとしているか淀んでいるか。
とにかく、いつもはつかみどころのない表情をしている。
「今のとさっきのだとどっちが良い?」
「んー、今のかな。さっきのは少し明るいかも。」
「おけ。じゃあこれで。」
まずは吉沢くんが場面ごとのイメージにより何パターンか適当にメロディを弾き、それを私が客観的に聴く。
そして、2人で決めたメロディを譜面に起こすのは私の役目だ。
「あー疲れた。ねえ今日はここまでにしない?」
「そうだね。結構進んだし良いと思う。」
さっきまでの鋭く真剣な眼差しはどこにいったのか。
吉沢くんは目に涙をいっぱい溜めて大きなあくびをした。
「ねえねえ、吉沢くんって作曲もやってたの?」
私は帰り支度をしながら聞いてみた。
「やってないよ。弾いてただけ。」
「だとしたらよくそんなスラスラ曲出てくるね。私は全然ダメ。」
「そんなことないっしょ。それに俺は適当に弾くことはできるけど、感覚で弾いてるから譜面には起こせないし。それを起こせる愛菜は聴く能力がすごいんじゃない?」
「そうなのかなあ、あんま思ったことないけど。」
私たちは音楽室を出て昇降口へ向かった。
下駄箱で靴を履き替えて外へでる。
サッカー部や野球部が練習しているのを横目に、私たちは校門を出た。
「そういえば不思議じゃない?私、誰にも何も言われてないんだよ。」
「誰に何を言われるの?」
「吉沢くんと遅刻したことだよ。理央には聞かれたけどそれ以外は誰にも聞かれてない。いよいよ女の子たちにいじめられるかと思ったんだけど。」
「俺は聞かれた。」
「え、誰に。」
「クラスの男子数人。」
予想外だった。
まさか、男子たちが吉沢くんに聞いているなんて。
「それで…何て答えたの?」
「駅で偶然会ったって言った。文化祭の準備で仲良くなったから一緒に来た、って。」
「吉沢くん、さすがです。」
さすがすぎる…!
私が適当に理央に話した言い訳とピッタリ合致してる。
これで矛盾は生まれない、素晴らしい。
「あのさ、女子たちが愛菜に直接聞かなかった理由聞いたよ。」
「へ?」
「俺たちが本当に付き合ってると思ったんだって。んで、俺と愛菜だったら何も言えないって屈したらしい…って、男子たちが教えてくれた。」
「え、ちょっとごめん。ぜんっぜん意味がわからない。」
すると吉沢くんは、しらーっとした視線を私に送った。
「だからー、俺たちが美形コンビだからだよ。俺がかっこよすぎて愛菜が可愛すぎるから。何にも文句の付け所がなかったんだって。そこで文句言ったらただの負け惜しみだから。」
美形は得だねえ。
本気なのか冗談なのかわからない呟きを残し、
吉沢くんは私に向けていた視線を前に戻した。
「…じゃあ、女の子たちは私たちが付き合ってると思ってるの?」
「あくまでも最初はね。ただ、今は男子が伝えてくれたはずだから大丈夫だと思う。」
「そっか…」
なんだかすごく変な感じがした。
これまでの人生、誰かに口に出して「可愛い」とか「綺麗」なんて言われたことはなかった。
しかしここ最近は、直接的ではなくともそう思われていたということを知ることが急激に増えた。
でも私は、自分の顔があまり好きじゃない。
正式には、ある時を境に何とも思わなくなった。
「愛菜はあんま見た目のこと言われるの好きじゃないんだろうけど、今回のことに関して言えば顔に助けられたんだよ。前に女子たちに取り囲まれていた時も俺の顔のおかげで何とかなったでしょ?使えるものは使うんだよ。」
吉沢くんはたまにかっこ良いともかっこ悪いともとれる名言を当たり前のように吐く。
今だって、使えるものは使うなんてかっこ良く言いながらも、所詮その手段は「顔」なんだから。
醸し出す雰囲気だけでなく、思考にも不思議なところがあるみたいだ。
「吉沢くんだって私が言うまでは自分の顔の良さに気付いてなかったじゃん。」
「まあね。だって誰と比べて「あ、俺かっこいい」ってなるのって感じだったし。自分比じゃ分からないじゃん。愛菜に言われてはじめて「あ、俺は他人から見て顔が良いんだ」って知った。今まで誰も言ってこなかったし。」
「それは吉沢くんに独特のオーラがあるからだよ。いきなり「あなたかっこいいね」って軽々しく言えるような感じじゃないもん。神々しくて丁寧に触れないと壊れちゃいそうな人だもん。」
「へー、そうなんだ。」
「そうだよ。たぶん無意識だろうけどすごいオーラだよ。」
「そんなこと言ったら愛菜もね。「この人、すごい強そうだけど突っついたらすぐヒビ入るんだろうな」って感じ。」
「それ、どういう感じなの。」
私は思わずふっと吹き出した。
訳の分からない比喩でお互いの印象を語りながら足を進めた。
そのまま学校からの最寄駅に着く。
私と吉沢くんは別々の路線に乗る。
「じゃあお疲れ。気をつけて。」
「うん、また明日ね。」
改札を抜けてそれぞれのホームに降りる前に軽く言葉を交わす。
そして、吉沢くんと別れようとしたその瞬間。
「愛菜、」
私と吉沢くんはその声のした方へ同時に顔を向けた。
すると、
「あ、翔くん。」
スラリとした長身。
奥二重のシャープな目元。
スッと通った形の良い鼻。
無造作にしっかりセットされた髪。
こちらに向かってくる翔くんは、一見モデルみたいだ。
周りの女性たちも、振り向きざまに翔くんを目で追ってしまっている。
「今帰り?」
「うん。今日、翔くん早いね。部活終わったの?」
「今日は早めに終わった。」
そう言って、翔くんはちらりと私の隣を見た。
彼の視線の先には吉沢くんがいる。
吉沢くんも翔くんの視線にに気づいたのか、
いじっていたスマホから顔をあげた。
「友達?」
翔くんは意地悪だ。
吉沢くんのことを知っているはずなのに、わざと知らない程で聞いてくる。
どういう意図があるのか分からないけどとにかく意地悪だ。
いつもはそんな人じゃないのに。
「笹本さんと同じクラスの吉沢です。友達です、たぶん。」
吉沢くんのこの声を聞いたのは私が女の子達に取り囲まれていた時から2回目だ。
爽やかで透き通るような声。
思いっきり猫をかぶっている時の声。
いつもボンヤリとしている目も、今はしっかり光を宿して口元には柔らかい笑みを浮かべている。
でも、その目の奥が全然笑っていないことに私は普通に気づいている。
そして、吉沢くんが発した「友達です、たぶん」の“たぶん”という発言も完全に翔くんを挑発している。
「俺は3年の永田です。愛菜とは小さい頃からの幼馴染。」
翔くんの“小さい頃から”という発言も別にいらなくない?
幼馴染、だけでいいじゃん。
…よくわかんないけどこの2人、
お互いのことが気に入らないみたいなのは確かだ。
翔くんは鋭い視線のまま。
吉沢くんは口元にだけ笑みを浮かべたまま。
2人はしばらく何も発さなかった。
「あのね、吉沢くんとは文化祭の準備の係が同じで、今日も一緒にやってたから駅まで一緒に来たの。」
冷戦のような状態になっている2人の間に私は咄嗟に入っていった。
翔くんに何も嘘はついてない。
事実を言ったまでだ。
「そうなんだ、放課後まで偉いね。」
やっと口を開いた翔くんの口調と視線は少しだけ柔らかくなっているように感じた。
でも、吉沢くんと同様に、その目の奥が笑ってないのも分かった。
「放課後しかできないから仕方ないんだよね。吉沢くんがすごいから作業もちゃんと進んでるよ、ね?」
「そんなことないよ。笹本さんもすごい頑張ってくれてますよ。」
猫を被っている吉沢くんと話すのは震え上がるぐらい奇妙な感じがしたけどこの際耐えるしかない。
「それは良かった、これからも“友達として”愛菜をよろしく。」
「はい。もちろんです。」
そして、吉沢くんは反対ホームへと足を進めた。
その途中で何かを思い出すように「あ、」と私たちの方へ振り向いて。
「“愛菜ー”、明日まで譜面完成させといてくれると助かるわ。よろしく。」
そう言いのこし、吉沢くんは階段を降りていった。
「この部分はどうする?」
「んー…マイナー調かなぁ…ちょっと1回やってみよ。」
吉沢くんと遅刻した日から1週間が経ったある日の放課後。
今日も今日とて私たちは演劇の曲作りをしている。
あの日、教室に入った私たちを驚きの目で見ていたクラスメイトから特に何かを言われるということもなく、まさかの平和に1週間が過ぎたのだ。
私としては何も言われない方が都合は良い。
だから、良い意味で予想を裏切られたということになるけど、ここまで何もないのは逆に不思議だなぁとも感じる。
吉沢くんは真剣な眼差しで複数のパターンのメロディを奏でていた。
彼がこんなに真剣な表情をするのは私が知る限りピアノに向かっている時ぐらいだ。
普段、せっかくの綺麗な瞳はボンヤリとしているか淀んでいるか。
とにかく、いつもはつかみどころのない表情をしている。
「今のとさっきのだとどっちが良い?」
「んー、今のかな。さっきのは少し明るいかも。」
「おけ。じゃあこれで。」
まずは吉沢くんが場面ごとのイメージにより何パターンか適当にメロディを弾き、それを私が客観的に聴く。
そして、2人で決めたメロディを譜面に起こすのは私の役目だ。
「あー疲れた。ねえ今日はここまでにしない?」
「そうだね。結構進んだし良いと思う。」
さっきまでの鋭く真剣な眼差しはどこにいったのか。
吉沢くんは目に涙をいっぱい溜めて大きなあくびをした。
「ねえねえ、吉沢くんって作曲もやってたの?」
私は帰り支度をしながら聞いてみた。
「やってないよ。弾いてただけ。」
「だとしたらよくそんなスラスラ曲出てくるね。私は全然ダメ。」
「そんなことないっしょ。それに俺は適当に弾くことはできるけど、感覚で弾いてるから譜面には起こせないし。それを起こせる愛菜は聴く能力がすごいんじゃない?」
「そうなのかなあ、あんま思ったことないけど。」
私たちは音楽室を出て昇降口へ向かった。
下駄箱で靴を履き替えて外へでる。
サッカー部や野球部が練習しているのを横目に、私たちは校門を出た。
「そういえば不思議じゃない?私、誰にも何も言われてないんだよ。」
「誰に何を言われるの?」
「吉沢くんと遅刻したことだよ。理央には聞かれたけどそれ以外は誰にも聞かれてない。いよいよ女の子たちにいじめられるかと思ったんだけど。」
「俺は聞かれた。」
「え、誰に。」
「クラスの男子数人。」
予想外だった。
まさか、男子たちが吉沢くんに聞いているなんて。
「それで…何て答えたの?」
「駅で偶然会ったって言った。文化祭の準備で仲良くなったから一緒に来た、って。」
「吉沢くん、さすがです。」
さすがすぎる…!
私が適当に理央に話した言い訳とピッタリ合致してる。
これで矛盾は生まれない、素晴らしい。
「あのさ、女子たちが愛菜に直接聞かなかった理由聞いたよ。」
「へ?」
「俺たちが本当に付き合ってると思ったんだって。んで、俺と愛菜だったら何も言えないって屈したらしい…って、男子たちが教えてくれた。」
「え、ちょっとごめん。ぜんっぜん意味がわからない。」
すると吉沢くんは、しらーっとした視線を私に送った。
「だからー、俺たちが美形コンビだからだよ。俺がかっこよすぎて愛菜が可愛すぎるから。何にも文句の付け所がなかったんだって。そこで文句言ったらただの負け惜しみだから。」
美形は得だねえ。
本気なのか冗談なのかわからない呟きを残し、
吉沢くんは私に向けていた視線を前に戻した。
「…じゃあ、女の子たちは私たちが付き合ってると思ってるの?」
「あくまでも最初はね。ただ、今は男子が伝えてくれたはずだから大丈夫だと思う。」
「そっか…」
なんだかすごく変な感じがした。
これまでの人生、誰かに口に出して「可愛い」とか「綺麗」なんて言われたことはなかった。
しかしここ最近は、直接的ではなくともそう思われていたということを知ることが急激に増えた。
でも私は、自分の顔があまり好きじゃない。
正式には、ある時を境に何とも思わなくなった。
「愛菜はあんま見た目のこと言われるの好きじゃないんだろうけど、今回のことに関して言えば顔に助けられたんだよ。前に女子たちに取り囲まれていた時も俺の顔のおかげで何とかなったでしょ?使えるものは使うんだよ。」
吉沢くんはたまにかっこ良いともかっこ悪いともとれる名言を当たり前のように吐く。
今だって、使えるものは使うなんてかっこ良く言いながらも、所詮その手段は「顔」なんだから。
醸し出す雰囲気だけでなく、思考にも不思議なところがあるみたいだ。
「吉沢くんだって私が言うまでは自分の顔の良さに気付いてなかったじゃん。」
「まあね。だって誰と比べて「あ、俺かっこいい」ってなるのって感じだったし。自分比じゃ分からないじゃん。愛菜に言われてはじめて「あ、俺は他人から見て顔が良いんだ」って知った。今まで誰も言ってこなかったし。」
「それは吉沢くんに独特のオーラがあるからだよ。いきなり「あなたかっこいいね」って軽々しく言えるような感じじゃないもん。神々しくて丁寧に触れないと壊れちゃいそうな人だもん。」
「へー、そうなんだ。」
「そうだよ。たぶん無意識だろうけどすごいオーラだよ。」
「そんなこと言ったら愛菜もね。「この人、すごい強そうだけど突っついたらすぐヒビ入るんだろうな」って感じ。」
「それ、どういう感じなの。」
私は思わずふっと吹き出した。
訳の分からない比喩でお互いの印象を語りながら足を進めた。
そのまま学校からの最寄駅に着く。
私と吉沢くんは別々の路線に乗る。
「じゃあお疲れ。気をつけて。」
「うん、また明日ね。」
改札を抜けてそれぞれのホームに降りる前に軽く言葉を交わす。
そして、吉沢くんと別れようとしたその瞬間。
「愛菜、」
私と吉沢くんはその声のした方へ同時に顔を向けた。
すると、
「あ、翔くん。」
スラリとした長身。
奥二重のシャープな目元。
スッと通った形の良い鼻。
無造作にしっかりセットされた髪。
こちらに向かってくる翔くんは、一見モデルみたいだ。
周りの女性たちも、振り向きざまに翔くんを目で追ってしまっている。
「今帰り?」
「うん。今日、翔くん早いね。部活終わったの?」
「今日は早めに終わった。」
そう言って、翔くんはちらりと私の隣を見た。
彼の視線の先には吉沢くんがいる。
吉沢くんも翔くんの視線にに気づいたのか、
いじっていたスマホから顔をあげた。
「友達?」
翔くんは意地悪だ。
吉沢くんのことを知っているはずなのに、わざと知らない程で聞いてくる。
どういう意図があるのか分からないけどとにかく意地悪だ。
いつもはそんな人じゃないのに。
「笹本さんと同じクラスの吉沢です。友達です、たぶん。」
吉沢くんのこの声を聞いたのは私が女の子達に取り囲まれていた時から2回目だ。
爽やかで透き通るような声。
思いっきり猫をかぶっている時の声。
いつもボンヤリとしている目も、今はしっかり光を宿して口元には柔らかい笑みを浮かべている。
でも、その目の奥が全然笑っていないことに私は普通に気づいている。
そして、吉沢くんが発した「友達です、たぶん」の“たぶん”という発言も完全に翔くんを挑発している。
「俺は3年の永田です。愛菜とは小さい頃からの幼馴染。」
翔くんの“小さい頃から”という発言も別にいらなくない?
幼馴染、だけでいいじゃん。
…よくわかんないけどこの2人、
お互いのことが気に入らないみたいなのは確かだ。
翔くんは鋭い視線のまま。
吉沢くんは口元にだけ笑みを浮かべたまま。
2人はしばらく何も発さなかった。
「あのね、吉沢くんとは文化祭の準備の係が同じで、今日も一緒にやってたから駅まで一緒に来たの。」
冷戦のような状態になっている2人の間に私は咄嗟に入っていった。
翔くんに何も嘘はついてない。
事実を言ったまでだ。
「そうなんだ、放課後まで偉いね。」
やっと口を開いた翔くんの口調と視線は少しだけ柔らかくなっているように感じた。
でも、吉沢くんと同様に、その目の奥が笑ってないのも分かった。
「放課後しかできないから仕方ないんだよね。吉沢くんがすごいから作業もちゃんと進んでるよ、ね?」
「そんなことないよ。笹本さんもすごい頑張ってくれてますよ。」
猫を被っている吉沢くんと話すのは震え上がるぐらい奇妙な感じがしたけどこの際耐えるしかない。
「それは良かった、これからも“友達として”愛菜をよろしく。」
「はい。もちろんです。」
そして、吉沢くんは反対ホームへと足を進めた。
その途中で何かを思い出すように「あ、」と私たちの方へ振り向いて。
「“愛菜ー”、明日まで譜面完成させといてくれると助かるわ。よろしく。」
そう言いのこし、吉沢くんは階段を降りていった。