月歌~GEKKA
クリスマス・イブが明日となった休日。
相変わらずお客様の無茶苦茶な電話はあるものの、一時の酷い状況からはやっと脱した。
ずっと神経を張り詰めていたからか、やっと明日で全て楽になると思って気が抜けてしまったからなのか…。
今日は朝から体調が悪い。
そんな中、店内放送が鳴る。
『3F玩具売り場の方、3F玩具売り場の方。外線お願い致します』
丁度、電話の近くに居たので電話を取る。
「もしもし!」
電話の相手は既にキレ気味だ。
「はい、玩具売り場です。」
答えた私に、いつも売り出すと瞬時に売れる玩具名を言って来た。
「申し訳ございません。そちらの玩具は完売しております」
私の言葉を最後まで聞かず
「はぁ?メーカーに問い合わせたら完売。デパート行っても完売。
だからあんたみたいなちんけな店に電話したんじゃない!あんたん所で隠してるんでしょう!」
何度目だろう
うちのお店は他のお店より少し安めに商品を提供している。
だから、デパートや普通の玩具屋さんより先に売れていくのだ。
それなのに、なんでこんな言いがかりをつけるんだか…。
体調が悪い事もあり、私は溜息を吐いた。
「ちょっとあなた!馬鹿にしてるの!」
電話口のお客様の声が遠くに聞こえる。
その時
「おい、柊?」
森野さんの声が遠くに聞こえる。
受話器を持ったまま森野さんの顔を見た瞬間、私は意識を手放した。
いけない…お客様と電話の途中だった。
必死に意識を取り戻そうと瞼を開けると、そこは病院のベットの上だった。
「あれ?」
思わず呟いた私に、店長の奥様が顔を出した。
「あ、気が付いた。大丈夫?」
事態が飲み込めずに店長の奥様を見ていると
「柊さん、お店で倒れたのよ。森野君が電話のお客様を杉野さんに任せて、此処まで運んでくれたの。ずっと電話ってうなされてたけど…大丈夫」
店長の奥様の言葉に、なんとなく事態を理解した。
どうやらお店で倒れて、私はお店の裏にある総合病院に運び込まれたらしい。
「熱、三十九℃以上あるのに…無理しちゃダメじゃない」
店長の奥様に言われて、そんなに熱があったのかとぼんやり考えていた。
手には点滴が刺さっていて、もうじき終わりそうになっている。
…という事は、一時間以上気を失ってたんだ…。
自分の不甲斐なさに泣きそうになる。
その時
「あ…気ぃついたんか?」
店長ののんびりした声と、穏やかな笑顔が見えた。
その瞬間、気が緩んで涙が溢れて来た。
「すみません。仕事中にご迷惑をかけて…」
必死に涙を隠すように両手で顔を覆うと、店長の奥様がハンカチを差し出してくれた。
「急性胃腸炎やて。まぁ、ほんまによう頑張ってたもんな」
店長の大きな手が私の頭を撫でる。
「でも…結局ご迷惑を掛けてしまいした」
泣きながら呟いた私に
「迷惑?誰も掛かってへんよ。
まぁ、強いて言えば、柊ちゃんを此処までお姫様抱っこで運んできた森野君が被害者かな?」
悪戯な笑みを浮かべて、店長がウインクしてそう答えた。
「森野さんが?」
「せやで。柊ちゃん抱えて、『店長!俺の大事な柊が倒れました!』ってな」
「誰が『俺の大事な』なんて言いました?」
私の言葉に店長が答えていると、地の底から這って来たような森野さんの声が聞こえる。
「あれ?森野君、お店は?」
「店長に戻って欲しいそうなので、俺が代わりに呼んで来いと言われて来たんです。
ったく、俺が居ないからって、嘘八百並べないで下さい」
笑って誤魔化す店長に、森野さんが相変わらずの表情で答える。
「嘘八百やないで。森野君のあの慌て振り、そう思ってるように見えたんやけどな~」
店長はおどけたように言うと、椅子から立ち上がった。
「俺は!……二度と目の前で誰かの命が消えるのを見たくないだけです」
森野さんは吐き捨てるようにそう言うと、店長から視線を外した。
「せやな、せやな。まぁ、そう思ってた方が楽やもんな」
店長はそう言って森野さんの肩をポンっと軽く叩いた。
「でもな、どんなに表面取り繕うても、目は嘘吐けへんのやで」
意味深な言葉を言うと、店長は私に視線を戻して
「ごめんな~、柊ちゃん。ほんまは俺が送りたかったんやけど…。森野君で勘弁してな」
そう言って部屋を出て行った。
私はその瞬間、ガバっとベッドから飛び起きようとして、目眩で倒れ込む。
「お前…熱あるのに何してる訳?」
呆れた顔をしている森野さんに
「え!だって、送るって?」
動揺している私に
「安心しろ、園田さんも一緒だ。」
と森野さんが答えると、看護師さんが点滴を取りにやって来てしまった。
会計は既に店長の奥様が済ませていてくれて、車椅子で看護師さんにお店の車まで運ばれる。
「あの…一人で大丈夫です」
必死に訴える私に
「往生際が悪い!ほら、とっとと乗れ!」
森野さんがイライラした様子で私を後部座席に押し込んだ。
運転席に森野さんが乗ると、店長の奥様が助手席に座った。
その瞬間、相手は店長の奥様なのに胸がモヤモヤしている自分に驚いた。
お店から10分位の所にあるアパートに私の部屋がある。
森野さんは杉野チーフから私の私物を預かったらしく、アパートに着くと鞄を私に差し出した。
「ありがとうございました」
お礼を言って部屋に戻ろうとしたら、何故か二人まで上がり込んで来た。
「え!あの!部屋、散らかってるんで!」
言いながら、身体がフラフラしている私を森野さんは荷物を運ぶように肩に抱え込み
「こんな身体で、一人で何が出来るんだよ!」
そう言うと、ズカズカと部屋へ上がり込む。
(嫌~!)
恥ずかしさにジタバタしていると
「うるせえ!諦めろ!」
と私のお尻をパシっと叩き、ベッドへと下ろした。
私の部屋は玄関を入るとキッチンになっており、その先に和室が2間続いている。
その一室が私の寝室になっている。
「恥ずかしいから、早く向こうの部屋へ行ってください!」
森野さんを寝室から追い出そうと、親切に運んでくれた森野さんの背中をグイグイと押す。
「分かったよ、うるせぇな!」
そう言って森野さんが立ち上がった瞬間、森野さんの手に何かが触れて床に『ガシャーン』と音を立てて落ちた。
私はハッとしてその落ちた物を拾おうとした時、一瞬早く森野さんが落ちた物を拾った。
「これ…」
驚いた顔で見ている森野さんに
「返して下さい。私の命より大切な物なんです」
そう言ってゆっくりと立ち上がった。
「お前…何でこれを?…これ、ふじま あすみって書いてあるぞ」
茫然とした顔で尋ねる森野さんに
「私、両親が小学校上がる前に離婚して名字が変わったんです。」
そう言いながら、森野さんの手からCDを取り返す。
「え?」
私の言葉に、森野さんが驚いて私を見た。
「この歌声に出会った時、丁度両親が離婚で揉めていて…。
親戚の家に預けられていたんです。
本当は寂しくて悲しくて辛い状況だったけど、誰にも言えなかった。
そんな私の心を、カケルさんの歌声が救ってくれたんです。
カケルさんの歌があったから、両親が離婚しても頑張れた。
母親に引き取られて、住み慣れた街から転居して誰も知らない場所でも頑張れた。
カケルさんの歌が無かったら、私は多分心が死んでたと思う」
私はこの世でたった一枚しか無いCDを抱き締めて
「だから、このCDは自分の命よりも大切な物なんです」
そう続けた。
すると森野さんは私から視線を外し
「分かったから、お前はさっさと寝てろよ」
そう言い残して部屋から出て行ってしまった。
私はCDをいつも置いているベッド横のサイドテーブルに戻し、パジャマに着替えてベッドの中へ戻った。
この時、私は熱のせいで気付いていなかった。
森野さんが聞いていたのは、何故あのCDが小さな女の子「藤間明日海」ちゃん宛てに送った筈なのに、私の手元に有るのかと聞いて来た事に…。
そして私がその時の少女だと知って動揺していた事を…。
深い眠りに着いていたらしく、目が覚めた時は夜になっていた。
喉の渇きを感じて寝室を出ると、店長の奥様がキッチンに立っている。
奥様は私に気が付くと
「あ?喉が渇いたの?はい」
と経口補水液を渡して来た。
「え?まさかずっと居てくれたんですか?」
驚いて聞くと、店長の奥様は苦笑いして
「冷蔵庫、空っぽだったからお買い物に行ったりはしたけどね」
そう言うと、一人用の土鍋に火を付けた。
「まだ固形物は食べられないから…」
そう言って、店長の奥様は重湯を出してくれる。
「離乳食の予習しちゃった」
フフフって笑いながら言う店長の奥様につられて、私も笑顔になる。
一口、口にした瞬間、心の中がじんわりと温かくなった。
「美味しいです」
思わず呟いた私に
「ええ~!ただの重湯だよ」
困ったように店長の奥様が笑う。
「私…小学校に上がる時に両親が離婚して、母一人子一人で生活していたんです。
だから、体調を崩しても母が私の為に仕事を休むなんてしなかったので…。
こうして誰かに料理を作ってもらたのは、小学校に上がる前までなんです」
重湯を噛み締めながら呟いた私に
「柊さん…苦労して来たんだね…」
ポツリと呟いた。
その言葉に私が目を丸くしていると
「そっか…。柊ちゃんは、苦労したって思ってなかったんだ。
じゃあ、頑張ってたんだね」
店長の奥様が微笑んでそう言ってくれた。
私は何だか照れくさくて重湯をもう一口、口に含んだ。
すると部屋のインターフォンが鳴った。
「あ、亮君かな?」
店長の奥様は玄関へ向かいドアを開ける。
「あ、杉ちゃん」
「あの…柊さんの様子はどうですか?」
心配そうな声に店長の奥様は
「取り敢えず中に入れば?」
そう言うと、杉野チーフを中に招き入れた。
(えっと…ここは私の部屋だよね…)
苦笑してそう思っていると、杉野チーフが私の顔を見るなり抱き付いて来た。
「柊さん、大丈夫!ごめんね、体調悪いの全然気付いてあげられなくて」
今にも泣きそうな顔で杉野チーフが何度も謝る。
「そんな…私こそ、仕事に穴を空けてすみません」
そう答えると
「ううん。柊さん、本当に頑張ってくれたから大丈夫だよ。
取り敢えず、お医者様も2~3日は安静って言ってたみたいだし、ゆっくり休んで」
笑顔で杉野チーフに言われてしまった。
心配してくれている杉野チーフには悪いと思うけれど、3日も森野さんの顔を見られないのか…。
私はそう、ぼんやりと考えていた。
相変わらずお客様の無茶苦茶な電話はあるものの、一時の酷い状況からはやっと脱した。
ずっと神経を張り詰めていたからか、やっと明日で全て楽になると思って気が抜けてしまったからなのか…。
今日は朝から体調が悪い。
そんな中、店内放送が鳴る。
『3F玩具売り場の方、3F玩具売り場の方。外線お願い致します』
丁度、電話の近くに居たので電話を取る。
「もしもし!」
電話の相手は既にキレ気味だ。
「はい、玩具売り場です。」
答えた私に、いつも売り出すと瞬時に売れる玩具名を言って来た。
「申し訳ございません。そちらの玩具は完売しております」
私の言葉を最後まで聞かず
「はぁ?メーカーに問い合わせたら完売。デパート行っても完売。
だからあんたみたいなちんけな店に電話したんじゃない!あんたん所で隠してるんでしょう!」
何度目だろう
うちのお店は他のお店より少し安めに商品を提供している。
だから、デパートや普通の玩具屋さんより先に売れていくのだ。
それなのに、なんでこんな言いがかりをつけるんだか…。
体調が悪い事もあり、私は溜息を吐いた。
「ちょっとあなた!馬鹿にしてるの!」
電話口のお客様の声が遠くに聞こえる。
その時
「おい、柊?」
森野さんの声が遠くに聞こえる。
受話器を持ったまま森野さんの顔を見た瞬間、私は意識を手放した。
いけない…お客様と電話の途中だった。
必死に意識を取り戻そうと瞼を開けると、そこは病院のベットの上だった。
「あれ?」
思わず呟いた私に、店長の奥様が顔を出した。
「あ、気が付いた。大丈夫?」
事態が飲み込めずに店長の奥様を見ていると
「柊さん、お店で倒れたのよ。森野君が電話のお客様を杉野さんに任せて、此処まで運んでくれたの。ずっと電話ってうなされてたけど…大丈夫」
店長の奥様の言葉に、なんとなく事態を理解した。
どうやらお店で倒れて、私はお店の裏にある総合病院に運び込まれたらしい。
「熱、三十九℃以上あるのに…無理しちゃダメじゃない」
店長の奥様に言われて、そんなに熱があったのかとぼんやり考えていた。
手には点滴が刺さっていて、もうじき終わりそうになっている。
…という事は、一時間以上気を失ってたんだ…。
自分の不甲斐なさに泣きそうになる。
その時
「あ…気ぃついたんか?」
店長ののんびりした声と、穏やかな笑顔が見えた。
その瞬間、気が緩んで涙が溢れて来た。
「すみません。仕事中にご迷惑をかけて…」
必死に涙を隠すように両手で顔を覆うと、店長の奥様がハンカチを差し出してくれた。
「急性胃腸炎やて。まぁ、ほんまによう頑張ってたもんな」
店長の大きな手が私の頭を撫でる。
「でも…結局ご迷惑を掛けてしまいした」
泣きながら呟いた私に
「迷惑?誰も掛かってへんよ。
まぁ、強いて言えば、柊ちゃんを此処までお姫様抱っこで運んできた森野君が被害者かな?」
悪戯な笑みを浮かべて、店長がウインクしてそう答えた。
「森野さんが?」
「せやで。柊ちゃん抱えて、『店長!俺の大事な柊が倒れました!』ってな」
「誰が『俺の大事な』なんて言いました?」
私の言葉に店長が答えていると、地の底から這って来たような森野さんの声が聞こえる。
「あれ?森野君、お店は?」
「店長に戻って欲しいそうなので、俺が代わりに呼んで来いと言われて来たんです。
ったく、俺が居ないからって、嘘八百並べないで下さい」
笑って誤魔化す店長に、森野さんが相変わらずの表情で答える。
「嘘八百やないで。森野君のあの慌て振り、そう思ってるように見えたんやけどな~」
店長はおどけたように言うと、椅子から立ち上がった。
「俺は!……二度と目の前で誰かの命が消えるのを見たくないだけです」
森野さんは吐き捨てるようにそう言うと、店長から視線を外した。
「せやな、せやな。まぁ、そう思ってた方が楽やもんな」
店長はそう言って森野さんの肩をポンっと軽く叩いた。
「でもな、どんなに表面取り繕うても、目は嘘吐けへんのやで」
意味深な言葉を言うと、店長は私に視線を戻して
「ごめんな~、柊ちゃん。ほんまは俺が送りたかったんやけど…。森野君で勘弁してな」
そう言って部屋を出て行った。
私はその瞬間、ガバっとベッドから飛び起きようとして、目眩で倒れ込む。
「お前…熱あるのに何してる訳?」
呆れた顔をしている森野さんに
「え!だって、送るって?」
動揺している私に
「安心しろ、園田さんも一緒だ。」
と森野さんが答えると、看護師さんが点滴を取りにやって来てしまった。
会計は既に店長の奥様が済ませていてくれて、車椅子で看護師さんにお店の車まで運ばれる。
「あの…一人で大丈夫です」
必死に訴える私に
「往生際が悪い!ほら、とっとと乗れ!」
森野さんがイライラした様子で私を後部座席に押し込んだ。
運転席に森野さんが乗ると、店長の奥様が助手席に座った。
その瞬間、相手は店長の奥様なのに胸がモヤモヤしている自分に驚いた。
お店から10分位の所にあるアパートに私の部屋がある。
森野さんは杉野チーフから私の私物を預かったらしく、アパートに着くと鞄を私に差し出した。
「ありがとうございました」
お礼を言って部屋に戻ろうとしたら、何故か二人まで上がり込んで来た。
「え!あの!部屋、散らかってるんで!」
言いながら、身体がフラフラしている私を森野さんは荷物を運ぶように肩に抱え込み
「こんな身体で、一人で何が出来るんだよ!」
そう言うと、ズカズカと部屋へ上がり込む。
(嫌~!)
恥ずかしさにジタバタしていると
「うるせえ!諦めろ!」
と私のお尻をパシっと叩き、ベッドへと下ろした。
私の部屋は玄関を入るとキッチンになっており、その先に和室が2間続いている。
その一室が私の寝室になっている。
「恥ずかしいから、早く向こうの部屋へ行ってください!」
森野さんを寝室から追い出そうと、親切に運んでくれた森野さんの背中をグイグイと押す。
「分かったよ、うるせぇな!」
そう言って森野さんが立ち上がった瞬間、森野さんの手に何かが触れて床に『ガシャーン』と音を立てて落ちた。
私はハッとしてその落ちた物を拾おうとした時、一瞬早く森野さんが落ちた物を拾った。
「これ…」
驚いた顔で見ている森野さんに
「返して下さい。私の命より大切な物なんです」
そう言ってゆっくりと立ち上がった。
「お前…何でこれを?…これ、ふじま あすみって書いてあるぞ」
茫然とした顔で尋ねる森野さんに
「私、両親が小学校上がる前に離婚して名字が変わったんです。」
そう言いながら、森野さんの手からCDを取り返す。
「え?」
私の言葉に、森野さんが驚いて私を見た。
「この歌声に出会った時、丁度両親が離婚で揉めていて…。
親戚の家に預けられていたんです。
本当は寂しくて悲しくて辛い状況だったけど、誰にも言えなかった。
そんな私の心を、カケルさんの歌声が救ってくれたんです。
カケルさんの歌があったから、両親が離婚しても頑張れた。
母親に引き取られて、住み慣れた街から転居して誰も知らない場所でも頑張れた。
カケルさんの歌が無かったら、私は多分心が死んでたと思う」
私はこの世でたった一枚しか無いCDを抱き締めて
「だから、このCDは自分の命よりも大切な物なんです」
そう続けた。
すると森野さんは私から視線を外し
「分かったから、お前はさっさと寝てろよ」
そう言い残して部屋から出て行ってしまった。
私はCDをいつも置いているベッド横のサイドテーブルに戻し、パジャマに着替えてベッドの中へ戻った。
この時、私は熱のせいで気付いていなかった。
森野さんが聞いていたのは、何故あのCDが小さな女の子「藤間明日海」ちゃん宛てに送った筈なのに、私の手元に有るのかと聞いて来た事に…。
そして私がその時の少女だと知って動揺していた事を…。
深い眠りに着いていたらしく、目が覚めた時は夜になっていた。
喉の渇きを感じて寝室を出ると、店長の奥様がキッチンに立っている。
奥様は私に気が付くと
「あ?喉が渇いたの?はい」
と経口補水液を渡して来た。
「え?まさかずっと居てくれたんですか?」
驚いて聞くと、店長の奥様は苦笑いして
「冷蔵庫、空っぽだったからお買い物に行ったりはしたけどね」
そう言うと、一人用の土鍋に火を付けた。
「まだ固形物は食べられないから…」
そう言って、店長の奥様は重湯を出してくれる。
「離乳食の予習しちゃった」
フフフって笑いながら言う店長の奥様につられて、私も笑顔になる。
一口、口にした瞬間、心の中がじんわりと温かくなった。
「美味しいです」
思わず呟いた私に
「ええ~!ただの重湯だよ」
困ったように店長の奥様が笑う。
「私…小学校に上がる時に両親が離婚して、母一人子一人で生活していたんです。
だから、体調を崩しても母が私の為に仕事を休むなんてしなかったので…。
こうして誰かに料理を作ってもらたのは、小学校に上がる前までなんです」
重湯を噛み締めながら呟いた私に
「柊さん…苦労して来たんだね…」
ポツリと呟いた。
その言葉に私が目を丸くしていると
「そっか…。柊ちゃんは、苦労したって思ってなかったんだ。
じゃあ、頑張ってたんだね」
店長の奥様が微笑んでそう言ってくれた。
私は何だか照れくさくて重湯をもう一口、口に含んだ。
すると部屋のインターフォンが鳴った。
「あ、亮君かな?」
店長の奥様は玄関へ向かいドアを開ける。
「あ、杉ちゃん」
「あの…柊さんの様子はどうですか?」
心配そうな声に店長の奥様は
「取り敢えず中に入れば?」
そう言うと、杉野チーフを中に招き入れた。
(えっと…ここは私の部屋だよね…)
苦笑してそう思っていると、杉野チーフが私の顔を見るなり抱き付いて来た。
「柊さん、大丈夫!ごめんね、体調悪いの全然気付いてあげられなくて」
今にも泣きそうな顔で杉野チーフが何度も謝る。
「そんな…私こそ、仕事に穴を空けてすみません」
そう答えると
「ううん。柊さん、本当に頑張ってくれたから大丈夫だよ。
取り敢えず、お医者様も2~3日は安静って言ってたみたいだし、ゆっくり休んで」
笑顔で杉野チーフに言われてしまった。
心配してくれている杉野チーフには悪いと思うけれど、3日も森野さんの顔を見られないのか…。
私はそう、ぼんやりと考えていた。