溺愛彼氏
「自慢なので」
と、いう連絡をもみじくんにもらい、ローテーブルの上に置き去りになったファイルを手にしてもみじくんの会社まで向かった。
夜とは違いスーツの人が沢山出入りするこの時間帯はなんだかここにいるのがちょっぴり恥ずかしくなる。
もみじくんに連絡をし、小さくなるように受付の横で待っていれば、
「あ、こんにちは」
「杏さん、こんにちは」
え……。
スーツを着た会ったことのない人たちがなぜか私に挨拶をしてくる。どうしてでしょうか……?しかも名前まで。
「あれ、杏さん」
と、見知った人に名前を呼ばれた。前もここで会ったもみじくんの同期の柳下さん。
「あ、こんにちは」
「もう僕のこと覚えてくれました」
「もちろんです、この前は申し訳ございませんでした」
「いえいえ」
ぺこりと頭を下げれば、柔らかく微笑まれなんだか安心する。こんな場違いのところでひとりでいるのは落ち着かなくて内心声をかけてもらって、ほっとした。
「今日はどうしたんですか?」
「あ、あのもみじくんが資料を忘れてしまったようで届けにきました」
「あ、なるほどね」
納得したように頷いた柳下さん。けれどその後に「あ、」と何かを思い出したように呟いた。
「どうしたんですか?」
「いやー、杏さんこの会社で有名人なので」
「え、あの、柳下さんがくる前に何人かの方に名前を呼ばれて挨拶をされたのですが、」
恐る恐る聞いてみると「あぁ、やっぱり」という大して驚きのない返答。
「あの、なぜなので……しょうか?」
「え、そんなのあなたの旦那が自慢しまくってるからですよ」
「え、」
と、「あ、噂をすれば」と呟いた柳下さんの視線の先にはもみじくんの姿が。
「柳下、お前また、あんずに絡んでるわけ?」
「絡んでるとは失礼な」
こちらに向かって歩いてくるもみじくんは怪訝そうに眉根を寄せている。けれど「あんず遅くなってごめん」と呟いた声音は優しかった。
「感謝してもらうべきだと思うけど」
「なんで、僕が柳下に感謝しなきゃいけないの」
「誰かさんが会社で奥さんのこと自慢しまくるから、杏さん俺がくるまで知らない奴らに話しかけられて困ってたんだけど」
柳下さんのその誤解を招くような言葉に「挨拶されただけだよ」と咄嗟に訂正を入れる。
「あの、もみじくん、いったいどういうことなのでしょうか……?」
私が問えば「別になにも」と、視線を逸らされ「資料ありがとう」とファイルを催促された。
「デスクに結婚式の時の写真飾ってて。毎日杏さんが作ってくれたお弁当みんなに上手いって言ってるんだよな」
「うるさい、柳下」
そんなもみじくんをにこにこと楽しそうに見ながら、私の聞きたかった真実を打ち明けてくれる柳下さん。
「いやだって、本当のことだろ」
「本当のことだけど、お前に言われるとむかつく」
本当なんだ。とカァッと顔が熱くなる。
「瀧、奥さんに溺愛だもんな」
柳下さんが言うともみじくんの手がするりと伸びてきて、頭をぽんっと撫でられる。
「当然でしょ。あんずは僕の、」