わたしの愛した知らないあなた 〜You don’t know me,but I know you〜
「それで、どこに行くって?」

階段に向かいながら一花は榛瑠に聞いた。

「とりあえず、俺のベットの上に」

はい? 朝から何言ってるの、この人!

「と、とりあえず、コーヒー飲みましょ」

「はいはい」そう言って榛瑠は笑って、続ける。「じゃあ、お嬢様の今日の予定は何ですか?」

「うーん」何かな?「そうね、気分良く過ごすわ、今日は」

そう言って一花は繋いでる手に力を込めた。雲のない青空みたいに、過ごしたい。

「了解しました」

そう言って榛瑠が手を握り返す。

その温かみを感じながら、一花は榛瑠の横顔を見上げる。

心がほっとする。でも、ほんの少し、ほんの少しだけ……。

「ねえ、あの、記憶がなかった時のこと覚えているの?」

「覚えているよ、たぶんね」

たぶん、か。そうだよね、何を忘れたかなんて、わからないんだもの。

記憶は変えられていくのだし、いつも。

だから少しだけ、あの夜、電話で会いに来ると言った彼にもう会えないと思うと、残念な気になる。少しだけ。

穏やかな声で話してくれた人。彼はどこに行ったのだろう。

「なに?」

足を止めて見上げる一花に榛瑠が問うた。

「あ、えっと……」

せっかく記憶が戻った榛瑠に申し訳ない気持ちがする。でも、その記憶を無くす前に聞いておきたい。

「あの夜言ってた事、あの……、私に会いに来て何を言うつもりだったのかなって」

「ああ、そんな事」

そう言って榛瑠は手を解くと、一花を横抱きに抱き上げた。

「きゃっ」

「記憶があろうがなかろうが伝えたい事は変わらないよ」

そう言って、榛瑠は見惚れてしまうような晴れやかな笑顔を一花に向けた。

「愛してる、一花」



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