わたしの愛した知らないあなた 〜You don’t know me,but I know you〜
「本当に大丈夫です。苦痛があるとしたらベットの上にいなくてはいけないことかな。いい加減飽きました」

「明後日、退院って聞いたわ」

「その予定です」

「あの、わたし、付き添おうか?」

心配げな、でもどこか遠慮がちな問いに榛瑠は笑顔で答えた。

「大丈夫ですよ。高橋さんが有り難い事に車を都合してくれますし。それに、平日なので仕事でしょう?」

「うん、そうだけど。退院したら仕事戻るの?」

「そのつもりです。すぐとはいかないでしょうが。ドクターもその方が良いだろうと」

「そっか。榛瑠ならすぐ慣れるよ。……きっと」

そう言って覗き込む愛らしい瞳にゆっくりと涙が浮かんでいくのを、榛瑠はまるで映像でも見るような気持ちで目を離すことなく見ていた。

やがて、その涙がゆっくりと一粒頬にながれる。何ともいえない不思議な感覚がして、気づいたら榛瑠は彼女のその涙を指でぬぐっていた。

不意に、華奢な腕が首に巻きつけられる。抱きつかれながら、耳元で絞り出すような震える声が聞こえた。

「よかった。無事で、ほんとうによかった」

榛瑠がとっさに答えられないでいると、もう一度の「よかった」という呟きとともに、ぎゅっと抱きしめられた。


……この時、僕は間違ったのだ。何も考えずただ、彼女を抱きしめれば良かった。

それで、良かったのに。
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