わたしの愛した知らないあなた 〜You don’t know me,but I know you〜
笑うんだな、この人はここで、と榛瑠は思う。泣いてもおかしくないのに。

じゃあ、それだけだから、と、一花はもうすることないとばかりに帰りにかかる。

「車で送りますよ、寒いですし」

「ううん、電車で帰るよ。途中から迎えに来てもらうよう頼んであるし」

自分を振った男と二人きりは嫌だろうしな、とは思うが、夜道を一人で行かせるわけにはいかない。

「では駅まで送ります。断るのは無しでお願いします」

一花はふふっと笑って、お願いしますと言った。

駅までのそう遠くない道のりを二人並んで歩く。

一花は斜め前方に視線を落としながら黙って歩いている。少し微笑んでいるような、彼女のいつもの表情だった。

「お屋敷の方はどんなご様子ですか?」

榛瑠が聞いてみる。

「変わらないよ。普通」

そうですか、と言いながら榛瑠は考える。あの屋敷内での自分の立場はどんなものだったのだろう。

「嶋さんから連絡をいただいたのですが、昔の私の私物が残っているそうなんです。そのうち取りに伺うと思います」

「そうなんだ。知らなかった。いつでもどうぞ」

一花はあまり興味なさそうに答えた。思ったよりも後に引きづらないタイプなのかもしれない。

それなら、そのほうがいいと思った。そこに寂しさなどは感じない。
< 78 / 172 >

この作品をシェア

pagetop