二人の距離の縮め方~弁護士は家政婦に恋をする~
あめ
翌日、芽衣は仕事でとある閑静な住宅街の一軒家を訪ねていた。

ここには、多田初江(ただ はつえ)という七十代の女性が一人で暮らしている。先日、芽衣に水族館のチケットをくれた人だ。足が悪く、主に車椅子で生活していて、普段は近くに住む家族が介助に来ているのだが、その負担を減らすため、毎週水曜日と土曜日の二回、芽衣が雇われている。

初江は足は悪いが、心は年齢より若いくらいでおしゃべり好きだ。顧客の中では一番付き合いが長く、芽衣の事を孫のように可愛がってくれる。
芽衣にとっても初江の存在はありがたく、学には言えないような悩みも打ち明けられる唯一の存在だった。

多田家には、小さなサンルームがあり、そこは初江のお気に入りの場所だ。
今日も初江は、サンルームに置いてあるラタンの椅子に腰を掛け、日課の読書を始めた。芽衣は紅茶を淹れて、初江の座る椅子の脇にある、小さな丸いテーブルに置いた。

「芽衣ちゃん、ちょっといいかしら?」

読書の邪魔をしてはならないと、立ち去ろうとした芽衣を、初江が呼び止める。

「これなんだけど……」

そういって差し出されたのは、白い封筒。

「えっと……これは?」

促され、中を確認すると、有名ホテルの中に入っているレストランの食事券が入っていた。

「頂き物なの、私は最近洋食は食べないから、若い人にいいと思って。良かったら使ってくれないかしら?」
「だったら、お孫さんにお譲りしてください。私にはちょっと敷居が高すぎます」

芽衣は慌てて、初江に封筒ごと返した。ついこの前にもそうやって、水族館のチケットを頂いたばかりだ。仲良くしているとはいえ、相手は顧客なのだから甘えてばかりもいられない。

「また、そんな事言って! 誰でも入れる普通のレストランよ? 今月は私の都合でお休みを作っちゃったでしょう? せめてものお詫びだから、お願いよ」

芽衣の家政婦の仕事は日給制だ。雇い主の都合でお休みになれば、急なキャンセルを除いて給料はもらえない。

初江は、今週末に娘夫婦と旅行に行く予定で、芽衣の仕事は休みになった。

「そんなの気にしないで下さい。私も休暇を楽しむつもりですから」
「まぁ、何か予定が? 芽衣ちゃんも旅行とかいくのかしら? ……もしかして、この前のデートの人ね?」

初江の瞳の色が、少女のように輝き、矢継ぎ早に質問をしてくる。

「特別どこかに行くわけではありませんが……」

芽衣は「この前のデートの人」といる事は否定できなかった。

「だったら尚更、これを使ってちょうだい」

初江が再び、ホテルの食事券を強く芽衣に押し付ける。

「遠慮深いのは、貴方の美徳かもしれないけど、時には人に甘える事も必要よ」

それは、今までに何度か初江に言われていた事だ。芽衣はいつもこの女性にはかなわない。

「お言葉に甘えて……ありがたく、使わせていただきます」

パッと初江の顔が明るくなった。
誰かに甘えるというのは、芽衣にとっては罪な事。でも初江は違うと言う。初江の優しい笑顔を見ていると、何が正しいのか分からなくなってくる。
< 15 / 26 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop