二人の距離の縮め方~弁護士は家政婦に恋をする~
挿話 むかしのはなし
思い出すのは消毒の香り。

「あなたは、母さんみたいにならないでね」
 
老婆のように、細くてシワシワになってしまった手を胸の前で組みながら、その人は言った。

「私は結局、誰からも愛されず、死んでいくの」

嘆き悲しむ母に、どうしようもなく腹が立つ。
私がいるのに! 母さんには私がいるのに! 一人じゃないのに! そう叫びたかったが、母はもう、芽衣の事など見てはいない。

病院の窓から見える景色は、やたら青くて澄んでいる。母はその空に、一体誰の顔を思い浮かべているのだろうか?

妊娠を告げた途端、別れを切り出されたという芽衣の「父親」だろうか?
たまに母親が外に連れ出してくれた時に、一緒に着いてきた「おじさん」だろうか?
いきなり家に転がり込んできて、病気が発覚するとさっさと消えた、いやらしい目付きの男だろうか?
芽衣の中で、哀れな母に対する感情は、急速に冷えていく。結局最後まで、母は自分を見てはくれないのだ。

「私だって、あなたに愛されたかった……」

芽衣は、母に聞こえない程の低い声でつぶやいた。口にしてみて、なんだかおかしくて、笑った。

窓の外を眺めていた母は、薬が効いてきたのか、スースーと寝息をたてはじめている。
いい夢をみているのだろうか? 布団をかけてあげると、一瞬顔に笑みを浮かべた気がした。母のこんな穏やかな表情を見るのは、久しぶりだ。
間もなく、この人との永遠の別れがやってくる。それなのに、なぜ自分はこんなに冷静で、どこか他人事のように感じているのだろう。

あれ程愛されたいと願っていたのに、今はもうその呪縛から解放される事に安堵している。
私は、この人のようにはならない。

誰かに依存し、縋らないと生きていけないような人間にはならない。決して一人を恐れない。そう誓って、芽衣は病院を後にした。
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