二人の距離の縮め方~弁護士は家政婦に恋をする~
彼女は、そのご婦人と色々な話をするらしい。昨日どんな話をしたのかまでは学は知らないが、「多田さんというおばあさんが、出かけると言ったらくれたんです」と嬉しそうに、この水族館のチケットを差し出してきたので、学が考えてきた初デートプランはお蔵入りとなった。

熱帯魚やクラゲが展示されている水槽には、芽衣の姿は見つけられず、はぐれてしまった一番人の多い大水槽まで戻ってきた。

水槽の周りには、二重、三重の人垣ができている。長身を利用して覗き込むが、最前列までくまなく見渡す事はできない。
その時、旗を持ったガイドツアーの女性が声をあげ、水槽を囲んでいた人達がゾロゾロと動き出きす。

「山奈さん!」

団体客が移動して、まばらになった水槽の前で、張り付いている芽衣の姿を発見した。

「良かった、ここにいたんだ……」

学が駆け寄って声をかけると、芽衣は一瞬驚いた表情で見上げた。

「……あれ? もしかしてずっとここにいた?」
「はい。もしかして、私……はぐれちゃってました??」

なるほど、どうりでいくら先を探しても見つからないはずだ。学が隣にいない事に気付かない程、見入っていたらしい。

「どうやら迷子になっていたのは、僕の方みたいだね」

状況を把握してシュンとなった芽衣に、わざとおどけてみせる。

「本当にごめんなさい……。私、水族館は小学校の遠足以来で…… つい夢中になっちゃって」
「君が楽しいなら、それでいいんだ。……そうだ、あっちにクラゲのコーナーがあるから行ってみないか? 綺麗だよ」

学はなるべく自然なフリをして手を差し伸べた。

「できれば、もう迷子になりたくないんだけど」

つい、余計な言い訳まで付け加えてしまう。するとゆっくりと彼女の手が動き、学のそれと重なった。

強く握ると壊れてしまいそうな程、細くて華奢な手なのに、不思議と弾力があって柔らかい。ただ手を握っただけでこんなに緊張するなんて、気分は十代に戻ったみたいだ。それはきっと、この若くて愛らしい女性の影響だろう。

芽衣は手を握られ、俯いて目も合わせられないほど恥ずかしがっていた。ミディアムストレートの髪から覗かせる左耳が、赤くなっているのが分かる。
恥ずかしがっていても、嫌がられてはいない。そう受け取った学は、人混みというのも悪くはないとあっさりと手のひらを返し、水族館のチケットをくれたご婦人に心から感謝した。
< 8 / 26 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop