COLORFUL(短編)
二週間が経った。演奏を聞きに訪れる日課は変わっていないが、今は、夜に彼女とSNSでやり取りすることが心からの楽しみになっている。SNS上の彼女、|高宮陽葵(たかみやひまり)は|饒舌(じょうぜつ)で、色んな話をしてくれた。サックスは祖母から譲り受けたもので、大切にしていること。声が出ないことを理由に中高と友達が作れなかったこと。ストリートミュージシャンを始めたのは、声が出ないというコンプレックスを克服したかったということ。友達になろうとしたのは、毎日演奏を聞きに来てくれる内に気になっていたかららしい。とにかく、陽葵とは毎晩遅くまで語り合っていた。
梅雨の時期が終わり、車窓から見えるのは天高く昇った陽が辺りを照りつける夏空。今は、休日演奏前に『会いたい』と連絡が来た彼女の元に向かうべく、電車に乗って駅前広場に向かう途中だ。
暇つぶしにスマホをいじっていると、メッセージが届いた。
『広場到着! いつものとこにいるね!』
陽葵からのメッセージに、思わず顔が|綻(ほころ)ぶ。早く、会いたいな。
電車を降り、ホームの階段を上がって広場に向かう。すると、彼女はこちらに気付いたのか、大きく手を振っている。ポケットの中で震えたスマホを手に取ると、陽葵からのメッセージが届いていた。
『早く早く!』
柔らかな笑みを浮かべ、手招きする彼女。気持ちは同じなので、駆け足で向かう。
「ごめん、待たせた?」
スマホ片手に軽く謝ると、すぐさま返事が来た。
『ううん。会えて嬉しい』
微かに頬を染めながら、可愛らしいことを言ってくる陽葵。思ってもいない言葉に、こちらまで赤くなる。言いようのない照れに頬を掻くが、彼女を見つめる視線は逸らさない。
「それで、用事は何?」
『デート、しない?』
「へ?」
またも予想外な台詞に、思わず聞き返してしまう。スマホから視線を陽莉に移すと、上目遣いにこちらを見ながら、画面を向けてきた。
『だから、デートだよ……。ダメ……かな?』
見上げる瞳、微かに震える手。陽葵から初めてのお願い。断る理由など、どこにもなかった。だって、知らない内に気になっていたのは一緒だから。
「良いに決まってる」
『ホント!?』
「うん。あ、でも演奏は良いの?」
『一日くらい問題なし。たまには、息抜きしないとね』
「そっか。じゃあ、行こう。どこが良い?」
『遊園地!』
「了解」
肩を並べ、歩き出す。隣でサックスを背負う彼女の顔は、満開に咲く|向日葵(ひまわり)のようで。
陽が西に傾き始めた頃、少し熱を帯びた夏風が二人の間を吹き抜けていた。
空を駆けるようなジェットコースター、ドキドキしながら歩いたお化け屋敷、二人きりで何を話していいか分からなかった観覧車。陽葵と過ごした一時は、どれも有意義で楽しくて。空が夕焼けに染まるまで、時間という概念など忘れていた。
感じるのは頬を撫でる穏やかな潮風、波とカモメによる二重奏。遊歩道を進みながら、スマホでの会話は速度を増していた。
『疲れてない?』
『問題なし! そっちは?』
『大丈夫』
『じゃあ、まだまだ遊べるね! 次はどこ行く?』
『次って言っても、そろそろ閉園だね』
『えー、もっと二人でいたいな』
次々と表示されていくメッセージの中、画面越しにも伝わる陽葵の想い。
『もっと……、二人でいたいよ』
「陽葵……」
視線をスマホから彼女に映す。陽莉の顔は夕陽よりも赤く、潤んだ眼差しは一点にこちらを捉えている。
『あの……、ね。聞いてほしい曲があるんだ。君の為に作った、新曲。……聞いてくれる?』
目前に差し出されたスマホの画面。書かれているのは、陽葵の純粋な気持ち。
だから、無言のまま頷いた。
彼女に指示されるまま、近くのベンチに座る。陽葵は背負っていたケースを遊歩道に置いてサックスを取り出すと、遊歩道と海を隔てる柵の前に立った。周りには誰もおらず、二人きり。しかも、特等席だ。
揺れる草木、遠くからの船音。微かに聞こえるのは、遊園地を楽しむ声。
自然が奏でる序曲の中、彼女は胸に手を当て、大きく息を吐く。
そして、音を伴った息を吸い込み、旋律を奏で始めた。
名もなき新曲は、色彩と陽葵の想いを届けてくれる。
どこか切なくも、美しい|詩(うた)。言の葉となって聞こえてくる。
灰色だった心の五線譜を彩る、様々な音の符号。
『カラフル』。僕は、この調べをそう名付けたい。綺麗の一言だけでは表しきれない美しさを感じさせる、鮮やかな旋律に。
ずっと見ていたくて、隣にいてほしくて。
抑えきれない胸の高鳴り。上昇していく体温。瞳に映るのはいつしか彼女だけになっている。
――恋してる、愛してる。陽葵に。
沈んでいく陽を背に歌う吟遊詩人。一枚の絵画のような幻想的な光景は、まるで異世界。
気付けば夢中に、彼女の|虜(とりこ)になっていた。
演奏が終わり、一礼する陽葵。『どうだった?』と言わんばかりに笑顔を浮かべる。
だが、心の中は今、彼女への想いで溢れている。静かに歩み寄って伝えるのは、一つだけだった。
「好きだ」
告げたのは、抱いた想い。真っ直ぐに陽莉を見つめ、自分なりの旋律を奏でる。
「陽葵、大好きだ。ずっと傍にいてほしい」
言えることは言った。後は返事を待つだけ。しかし、陽莉にとっては不意の告白だったのか、スマホを取り出すことも忘れ、何故か口元にあったサックスを吹いた。
「ふぁ、ふぁふぁふぃふぉー!!」
鳴り響いたのは、思いっきり音が外れた四つの音。
……なんだろう。何か言いたいのだろうが、全く分からない。
「ふぁふぁふぃふぉ、ふふぃー!! ふふぃー!! ふぁふぃふふぃー!!」
「ひ、陽葵! 落ち着いて!」
「ふぁ! ふぉふふぁっふぁ!」
「ほら深呼吸しよう、深呼吸」
肩に手を置き、あわあわしている彼女をどうにか落ち着かせる。大きく息を吸って吐いて。数回繰り返すと、陽葵はようやく事を整理できる状態になった。持っていたサックスをケースに仕舞うと、鞄からスマホを取り出す。返事をくれるのかな、と期待して待つが、画面を見つめたまま彼女の指は動かない。
どれだけ時間が経っただろうか? 告白の返事を待つという不慣れな状況。永遠のような時の中、陽葵は普段からは考えられない遅さで文字を入力した。
『私で……いいの?』
見せた画面に書かれていたのは、問い。
『声出ないよ? 名前呼べないよ?』
先程までが嘘のように、溢れ出る不安を打ち込んでいく。
『好きって、君が好きって言葉さえ……、言えないんだよ?』
スマホを持つ手は震え、もう片方の手は胸の前で固く握りしめている。
『……そんな私でも、愛してくれますか?』
顔を見られないように必死に突き出しているのだろう。視界を遮るようにスマホを見せてくる。
でも、見逃さなかった。陽莉の頬に一筋の涙が伝っていることを。
「好きだよ」
今にも取り乱しそうな彼女の背に手を回し、優しく抱きしめる。
「名前を呼べなくても、好きって言えなくても構わない。だって……」
抱きしめる腕に力を込め、陽葵の体を更に引き寄せた。
「代わりに何千回でも、何万回でも、君への愛を叫ぶから。……陽葵、愛してるよ」
紡いだ言葉は調べとなり、響いていく。
声を出せなくたって構わない。陽莉の代わりに何度でも言えばいいのだから。
しばらく抱きしめていると、彼女に背中を二度軽く叩かれた。何か伝えたいときの合図。そっと体を離し、陽葵を見つめる。
「どうし……」
言い切るよりも前に、唇を塞がれた。
「……陽莉」
初めてのキス。不慣れな感じからして彼女も初めてだったのだろう。恥ずかしそうにスマホで顔を隠しているが、赤面しているのはハッキリ分かる。
『好きって言ってくれて、ありがとう。愛してくれて……、ありがとう』
「お礼を言うのはこっちだよ。ありがとう」
笑顔で向き合っていると、陽莉が何やら見たことない程に顔を真っ赤にしてメッセージを送って来た。
『……キス、して?』
『え?』
『いい、から……』
『分かった……』
画面から彼女に視線を移す。すると、陽葵はすでに目を閉じて待っていた。
二度目とはいえ、自分からするのは初めて。飛び出そうになる心臓を抑えながら、口づける。
長めのキス。ゆっくりと顔を離すと、彼女は満面の笑みで「だ、い、す、き」と唇を動かした。
黒夜には星空が煌めく。まるで二人を祝福するかの如く。
固く握った手は離さない。隣でずっと、陽葵と共に。
二つの独奏曲は、重なり合って。ハーモニーとして奏でられていくのであった。
梅雨の時期が終わり、車窓から見えるのは天高く昇った陽が辺りを照りつける夏空。今は、休日演奏前に『会いたい』と連絡が来た彼女の元に向かうべく、電車に乗って駅前広場に向かう途中だ。
暇つぶしにスマホをいじっていると、メッセージが届いた。
『広場到着! いつものとこにいるね!』
陽葵からのメッセージに、思わず顔が|綻(ほころ)ぶ。早く、会いたいな。
電車を降り、ホームの階段を上がって広場に向かう。すると、彼女はこちらに気付いたのか、大きく手を振っている。ポケットの中で震えたスマホを手に取ると、陽葵からのメッセージが届いていた。
『早く早く!』
柔らかな笑みを浮かべ、手招きする彼女。気持ちは同じなので、駆け足で向かう。
「ごめん、待たせた?」
スマホ片手に軽く謝ると、すぐさま返事が来た。
『ううん。会えて嬉しい』
微かに頬を染めながら、可愛らしいことを言ってくる陽葵。思ってもいない言葉に、こちらまで赤くなる。言いようのない照れに頬を掻くが、彼女を見つめる視線は逸らさない。
「それで、用事は何?」
『デート、しない?』
「へ?」
またも予想外な台詞に、思わず聞き返してしまう。スマホから視線を陽莉に移すと、上目遣いにこちらを見ながら、画面を向けてきた。
『だから、デートだよ……。ダメ……かな?』
見上げる瞳、微かに震える手。陽葵から初めてのお願い。断る理由など、どこにもなかった。だって、知らない内に気になっていたのは一緒だから。
「良いに決まってる」
『ホント!?』
「うん。あ、でも演奏は良いの?」
『一日くらい問題なし。たまには、息抜きしないとね』
「そっか。じゃあ、行こう。どこが良い?」
『遊園地!』
「了解」
肩を並べ、歩き出す。隣でサックスを背負う彼女の顔は、満開に咲く|向日葵(ひまわり)のようで。
陽が西に傾き始めた頃、少し熱を帯びた夏風が二人の間を吹き抜けていた。
空を駆けるようなジェットコースター、ドキドキしながら歩いたお化け屋敷、二人きりで何を話していいか分からなかった観覧車。陽葵と過ごした一時は、どれも有意義で楽しくて。空が夕焼けに染まるまで、時間という概念など忘れていた。
感じるのは頬を撫でる穏やかな潮風、波とカモメによる二重奏。遊歩道を進みながら、スマホでの会話は速度を増していた。
『疲れてない?』
『問題なし! そっちは?』
『大丈夫』
『じゃあ、まだまだ遊べるね! 次はどこ行く?』
『次って言っても、そろそろ閉園だね』
『えー、もっと二人でいたいな』
次々と表示されていくメッセージの中、画面越しにも伝わる陽葵の想い。
『もっと……、二人でいたいよ』
「陽葵……」
視線をスマホから彼女に映す。陽莉の顔は夕陽よりも赤く、潤んだ眼差しは一点にこちらを捉えている。
『あの……、ね。聞いてほしい曲があるんだ。君の為に作った、新曲。……聞いてくれる?』
目前に差し出されたスマホの画面。書かれているのは、陽葵の純粋な気持ち。
だから、無言のまま頷いた。
彼女に指示されるまま、近くのベンチに座る。陽葵は背負っていたケースを遊歩道に置いてサックスを取り出すと、遊歩道と海を隔てる柵の前に立った。周りには誰もおらず、二人きり。しかも、特等席だ。
揺れる草木、遠くからの船音。微かに聞こえるのは、遊園地を楽しむ声。
自然が奏でる序曲の中、彼女は胸に手を当て、大きく息を吐く。
そして、音を伴った息を吸い込み、旋律を奏で始めた。
名もなき新曲は、色彩と陽葵の想いを届けてくれる。
どこか切なくも、美しい|詩(うた)。言の葉となって聞こえてくる。
灰色だった心の五線譜を彩る、様々な音の符号。
『カラフル』。僕は、この調べをそう名付けたい。綺麗の一言だけでは表しきれない美しさを感じさせる、鮮やかな旋律に。
ずっと見ていたくて、隣にいてほしくて。
抑えきれない胸の高鳴り。上昇していく体温。瞳に映るのはいつしか彼女だけになっている。
――恋してる、愛してる。陽葵に。
沈んでいく陽を背に歌う吟遊詩人。一枚の絵画のような幻想的な光景は、まるで異世界。
気付けば夢中に、彼女の|虜(とりこ)になっていた。
演奏が終わり、一礼する陽葵。『どうだった?』と言わんばかりに笑顔を浮かべる。
だが、心の中は今、彼女への想いで溢れている。静かに歩み寄って伝えるのは、一つだけだった。
「好きだ」
告げたのは、抱いた想い。真っ直ぐに陽莉を見つめ、自分なりの旋律を奏でる。
「陽葵、大好きだ。ずっと傍にいてほしい」
言えることは言った。後は返事を待つだけ。しかし、陽莉にとっては不意の告白だったのか、スマホを取り出すことも忘れ、何故か口元にあったサックスを吹いた。
「ふぁ、ふぁふぁふぃふぉー!!」
鳴り響いたのは、思いっきり音が外れた四つの音。
……なんだろう。何か言いたいのだろうが、全く分からない。
「ふぁふぁふぃふぉ、ふふぃー!! ふふぃー!! ふぁふぃふふぃー!!」
「ひ、陽葵! 落ち着いて!」
「ふぁ! ふぉふふぁっふぁ!」
「ほら深呼吸しよう、深呼吸」
肩に手を置き、あわあわしている彼女をどうにか落ち着かせる。大きく息を吸って吐いて。数回繰り返すと、陽葵はようやく事を整理できる状態になった。持っていたサックスをケースに仕舞うと、鞄からスマホを取り出す。返事をくれるのかな、と期待して待つが、画面を見つめたまま彼女の指は動かない。
どれだけ時間が経っただろうか? 告白の返事を待つという不慣れな状況。永遠のような時の中、陽葵は普段からは考えられない遅さで文字を入力した。
『私で……いいの?』
見せた画面に書かれていたのは、問い。
『声出ないよ? 名前呼べないよ?』
先程までが嘘のように、溢れ出る不安を打ち込んでいく。
『好きって、君が好きって言葉さえ……、言えないんだよ?』
スマホを持つ手は震え、もう片方の手は胸の前で固く握りしめている。
『……そんな私でも、愛してくれますか?』
顔を見られないように必死に突き出しているのだろう。視界を遮るようにスマホを見せてくる。
でも、見逃さなかった。陽莉の頬に一筋の涙が伝っていることを。
「好きだよ」
今にも取り乱しそうな彼女の背に手を回し、優しく抱きしめる。
「名前を呼べなくても、好きって言えなくても構わない。だって……」
抱きしめる腕に力を込め、陽葵の体を更に引き寄せた。
「代わりに何千回でも、何万回でも、君への愛を叫ぶから。……陽葵、愛してるよ」
紡いだ言葉は調べとなり、響いていく。
声を出せなくたって構わない。陽莉の代わりに何度でも言えばいいのだから。
しばらく抱きしめていると、彼女に背中を二度軽く叩かれた。何か伝えたいときの合図。そっと体を離し、陽葵を見つめる。
「どうし……」
言い切るよりも前に、唇を塞がれた。
「……陽莉」
初めてのキス。不慣れな感じからして彼女も初めてだったのだろう。恥ずかしそうにスマホで顔を隠しているが、赤面しているのはハッキリ分かる。
『好きって言ってくれて、ありがとう。愛してくれて……、ありがとう』
「お礼を言うのはこっちだよ。ありがとう」
笑顔で向き合っていると、陽莉が何やら見たことない程に顔を真っ赤にしてメッセージを送って来た。
『……キス、して?』
『え?』
『いい、から……』
『分かった……』
画面から彼女に視線を移す。すると、陽葵はすでに目を閉じて待っていた。
二度目とはいえ、自分からするのは初めて。飛び出そうになる心臓を抑えながら、口づける。
長めのキス。ゆっくりと顔を離すと、彼女は満面の笑みで「だ、い、す、き」と唇を動かした。
黒夜には星空が煌めく。まるで二人を祝福するかの如く。
固く握った手は離さない。隣でずっと、陽葵と共に。
二つの独奏曲は、重なり合って。ハーモニーとして奏でられていくのであった。