恋を忘れた君に

「ふーん、抱き着きたいんだ。いいよ、抱き着く?」

両腕を広げた。
ここはまだ駅前。
人通りだってまだまだある。

「こんなところでするわけないでしょー・・・も、ほら、早く行こ!」

広げられた腕を拒み、彼の腕を取って前に進もうとした。

「んーん、俺が抱き着きたくなっちゃたからだめ~。」

自分の腕を引く彼女の力なんてもろともせず、彼女を逆に自分のほうへと引っ張った。
きゃ、と小さく悲鳴を上げ相田さんの胸の中に収納されていくななせ。
その見事な技に私は、おお、と感嘆の声を漏らし、思わず拍手さえしてしまった。
目の前で少女漫画の様な展開が繰り広げられ、これは感心せざるを得ない。

でも玄室はそのままシーンチェンジという訳にはいかず、周りに人たちの視線が少し刺さる。
多分当人たちはもっと痛いだろう。

「あのー、そろそろ良いですか?」

と、沢渡さんが困った様に笑いがら声を掛けた。
はあい、と素直に相田さんが腕を緩め、ななせを開放する。
耳まで紅潮させたななせが相田さんの胸をどすどす叩く。
それをけらけらと笑いながら眺めていると、隣にすっと、沢渡さんが来た。

「ねえ、さっきのななせちゃんが言ってたこと、本当?」

二人には聞こえないくらいの小さな声で私に問いかけてくる。
囁くように紡ぎだされたそれは、いつもより低く感じる。
その声にどうしてか、彼の顔を見上げる事が出来ない。

「・・・そんなわけ、ないじゃないですか。」

ぷい、と顔を背ける。
我ながら全くもって可愛げがない。

「ふーん、そっかあ。残念。」

溜息交じりに応える彼の、表情が、気になった。
少しだけ顔を上げて表情を確認すると、横顔ではあったが、眉間に皺を寄せ、どこか悲しそうな顔をしながら笑っていた。

あ、これ以上、見ていてはいけない。

そんな気がして、すぐに視線を下に戻した。

早く、相田さんとななせ、二人の世界から帰って来い。
そう強く、心の中で願った。

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