アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
「あ……」
本当はその言葉を否定して「行かないで」と縋り付きたかった。でも、何も言えない……
そんな私の横をすり抜け二階に上がって行った並木主任が、数分後、自分のキャリーバックを持って戻って来た。
「翔馬、よく寝てたから起こさずに来たよ。お母さんにも宜しく言っといてくれ」
玄関のドアに手を掛けた並木主任が振り返り「世話になったな」と微笑む。その瞬間、もう本当にこれでお別れなんだと激しく心が揺れた。
彼女が居ても構わない。ちっぽけなプライドなど捨ててこの想いを伝えたい。
「並木……主任、私……」
覚悟を決め彼の名を呼ぶも、並木主任はその言葉を遮るように私の頭をクシャリと撫で、今まで見た中で一番の笑顔で言ったんだ。
「元気でな。それと、メリークリスマス……」
私達を引き裂くように閉じられるドア。その直後、堰を切ったように涙が溢れ嗚咽が漏れる。
イヤだ。このままさよならなんて絶対にイヤ!
夢中でドアを開け外に飛び出すが、無情にも並木主任が乗った車は走り出し夜の闇に消えていく。
「あぁぁ……行かないで。お願い。私の傍に居て……」
喪失感に耐えられず、玄関のタイルの上に座り込み泣いた。泣いて泣いて意識が朦朧とするくらい泣くと、空っぽになった心を引きずり、夢遊病者のようにふら付きながら自分の部屋に戻った。
しかし自分の部屋のドアを開ければ、綺麗に畳まれた布団が目に入り、再び涙が溢れ出す。
吸い寄せられるように彼が寝ていた布団の前に跪くと、頬を伝って零れ落ちた涙が真っ白なシーツの上で儚く弾け散った。