アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
人事部長の話しによると、私の本社秘書課への異動は、常務の強い希望らしい。
「あの気難しい常務に気に入られるとは……新田君、これは凄いことだよ」
「あわわ……じょ、常務って……私、常務がここに来た時に少しお話ししただけで、気に入られるようなことは何も……」
そうだ。むしろ嫌われていていると思っていた。
山辺部長は慌てふためく私の肩をバンバン叩き「栄転だ。おめでとう」と笑顔を見せる。が、すぐにその笑顔は消え、眼鏡の奥の細い目を吊り上げた。
「常務の命令は絶対だ。断ることはできないよ」
「あ、でも、突然そんなこと言われましても、私にも色々事情がありまして……」
翔馬が家を出て、今は母親とふたり暮らし。寂しがりやの母親をひとり残して家を出るワケにはいかない。
しかし山辺部長は私の事情などお構いなしで、常務の意に反する結果になれば、上司である自分の責任。自身の出世にも影響があるから私に本社に行けと保身に必死だ。
取りあえず返事は保留ということにしてもらったが、おそらく私がNOと言っても山辺部長は納得しないだろう。
どうしよう……東京なんて行けないよ。
困り果て、三時の休憩になったのを見計らって唯に相談してみると、絶句した唯が紙コップを持ったまま固まる。
「紬が……本社の秘書課に異動? それ、マジ?」
「うん、断るいい理由ないかなぁ……」
当然、唯も私が本社に行くのは反対だと思っていた。なのに「なんで断るの? 行きなさいよ」と予想外の言葉を返してきた。
「えっ? 唯ったら、私の話し聞いてた?」
「聞いてたわよ。だから行きなさいって言ったの。こんなチャンス二度とないわよ」