アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
えらいことになった……母さんになんて言えばいいの?
憂鬱な気分で家に帰った私は、異動のことをどう切り出そうかと悩んでいた。
父親が亡くなったばかりの頃、母親は"寂しい"が口癖になり、ひとりになりたくないと暫く私の部屋で一緒に寝ていた。やっと明るく笑ってくれるようになったのに、私が居なくなったら、またあの頃の母親に戻ってしまうんじゃないか……それが心配だった。
いっそのこと、会社を辞めて他の仕事を探そうかとも考えたけれど、翔馬がバイオコーポレーションの研究生になるには私が社員で居た方が有利だと思うと踏ん切りが付かない。
異動まで、もう時間がない。言うしかないか……
夕食を終え、ふたりで後片付けをしている時、勇気を振り絞って母親に声を掛けた。
「……あのね、私、転勤することになったの」
食器を洗っていた母親の手が止まり、私の顔をマジマジと見つめる。
「転勤?」
「うん、東京の本社に行けって……」
「えっ? 東京?」
「でね、急な話しで悪いんだけど、本社出社は今月の二十五日なの。だからそれまでに引っ越さないといけなくて……」
母親が泣き出したらどうしようとハラハラしながら事情を説明したのだが、予想に反して母親は終始笑顔だった。
「そう! 東京! いいじゃない」
「えっ?」
無理をして明るく振舞っているんじゃないかと心配になり「母さん、ひとりになっちゃうんだよ。いいの?」と真剣な顔で聞くと予想もしていなかった言葉が返ってきた。
「ひとりはイヤよ。だから私も紬と一緒に東京に行くわ」