アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
羽根の生えた八神常務を想像してバカ笑していると、翔馬の顔が急に青ざめ、テーブルの上の手が遠慮気味に私の後ろ指差す。その直後、背後から「ジジイで悪かったな」という八神常務の声が聞こえた。
「ひぃ……っ!」
まさか本人が後ろに居るなんて想像もしていなかったから大いに焦り、対面の翔馬に縋るような視線で助けを求めたのだが、思いっきり目を逸らされてしまう。
「あ、なんか眠くなってきたなぁ。俺、部屋で寝てくるわ……」
「えっ? えぇっ?」
逃げるようにリビングを出て行く薄情な弟に唖然としつつ恐る恐る振り返れば、八神常務が眼光鋭く私を見下ろしていた。
うわっ! めっちゃ怒ってるし。
これは間違いなく怒鳴られる。そう思ったのだけれど、意外にも彼の口から出た言葉は「俺もフレンチトースト食いたいな」だった。
「は、はいっ! すぐ作ります」
慌ててキッチンに向かいフレンチトーストを作っていると、ダイニングテーブルに肩肘を付いて私をジッと見つめていた八神常務がボソッと言う。
「……懐かしいな」
「えっ?」
「お前の実家に住んでた頃を思い出すよ。休みの日の朝は、いつもそうやってフレンチトースト作ってくれてたよな」
八神常務はアメリカに居た時、朝起きるといつもその光景が頭に浮かんで朝食はフレンチトーストばかり食べていたそうだ。
「――人は、異国の地にひとりで居ると、自分の人生で一番幸せたった過去を思い出す……」
「なんですか? それ」
「アメリカに居た時、時々飯を食いに行っていた日本料理店の大将が言っていたんだ。俺にとって一番幸せだった過去は、お前の家族と一緒に暮らしてた時だったのかもしれないな」