君の手が道しるべ
史子の指摘はほとんどが事実だ。

 梨花は行内でも有名な存在で、毎期ごとに発表される実績評価では必ず上位に名前がある。

 ひと昔——いや、ふた昔か。以前の銀行なら、定期預金を集めることが「実績」だった。夏と冬のボーナス時期には、定期預金の獲得目標が本部から下りてきて、とにかく預金を集めることに注力した。

 けれども今は全く違う。

 日銀の導入した異次元の金融緩和、そのなかでも銀行にとっていちばん迷惑な緩和策は「マイナス金利」だ。預金者にとっては定期預金にしようと普通預金にしようとろくな利息は付かないし、銀行にとってはどんなに融資をしてもろくな金利が得られない。

つまり、稼げないのだ。

 そこで力を入れざるを得なくなったのが、私や梨花が担当している「運用提案」だ。投資信託や生命保険を顧客に提案し、契約してもらえれば、手数料という即収入が見込めるからだ。

 今や銀行の花形は融資課ではなく運用課だと言う者もいるくらい、運用課に課せられるノルマは大きい。
 
 そのノルマを毎期必ずクリアして、なおかつ上積みしてくる梨花は、頭取とも面識があるほどの有名人なのだった。

 それに比べて私ときたら、ノルマをクリアできたことはほとんどない。

 達成率平均はだいたい40%、よくて50%台後半だ。

 そんな私が梨花の上司として赴任してきたのだから、梨花が不服に思っても仕方ないと思う部分も、正直……なくはない。

 その日の夜にいつものイタリアン居酒屋で待ち合わせた史子にそう話すと、彼女は露骨に眉をひそめた。

「香織さぁ、そんなんだから藤柳みたいな甘ちゃんに馬鹿にされるのよ。聞いた話だけど、あの子の提案ってほとんどが『お願い営業』らしいわよ。提案力云々じゃなくて、単純に男に取り入るのがうまいってだけらしいの。そんな後輩に遠慮してどうすんのよ」

 梨花の鼻にかかった甘ったるい声を思い出して、私もつい顔をしかめた。

「でもさ、それでも数字は数字、実績は実績でしょ。お願い営業であってもなくても、本部に上がる数字はみんな同じ」

「まあ、それはそうなんだけどね」

 私の反論に、史子も苦笑いで同意する。

「だけどさ、どのみちお願い営業なんていずれ行き詰まるわよ。最終的には、どれだけ真摯に仕事と向き合うかだと思う。だってさ、30近いあたしたちに、お願い営業なんてそもそも無理でしょ? 気持ち悪いだけでしょ? だったら、最後に笑うのは、こつこつ真面目に信用を積み上げた者だと私は思うな」

 珍しく熱く語った史子は、ふうっとため息をついた。

「あたしたち、もうすぐ30歳なのよ。で、独身、彼氏なし。——仕事を恋人にする以外、どんな道があるのかなって、思ったりするわけ、最近」

「——仕事が恋人、か。なんかわびしい響きだね」

「でも、それしかないと思わない? おひとりさま老後に向けて、頼りになるのは自分だけ。そう思うとね、なんとなく、仕事にも腹が決まるもんよ」

 空になったワイングラスをテーブルに置き、史子は明るく言った。
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