君の手が道しるべ
こんなにも。

 こんなにも、なにもできない週末はいままでなかった。と、思う。

 大倉主査の、あの爆弾発言を、私は週末ずっと考えながら過ごした。それ以外のことはなにもしなかったし、できなかった。

「会社辞めて、僕と一緒にNYに行きませんか?」

 まるで、この次の店はカラオケ行きませんか?とでも言うくらいの軽さで、あっさりと彼は言った。
 あまりにもあっさりと言うので、私はぽかんとしてしまった。その言葉の意味を深読みする余裕なんて、これっぽっちもなかった。

 「NY……?」

「ええ。僕、今期末で会社辞めるって言ったでしょう? そのあとは、家業の関係でしばらくNYに行くんです。ひととおり修行したら、日本に帰ってきますけど、いつになるかはわからないんで。だから」

「だから、NY? ――なんで?」

 私を見つめていた大倉主査が、突然、髪の毛に手をつっこんで、ぐしゃぐしゃにした。
 改めて私を見たその表情は、今まで見たこともないほど、照れていた。

「ほんとに、調査役って鋭いときは鋭いのに、こういうときは信じられないくらい鈍いんですね。……わかりませんか? 意味」

「意味? って、どういう……」

「ちゃんと言わないとわかりませんか?」

「……う、うん」

 しょうがないですね、と彼はため息を落とし、言った。たぶん、世界中でいちばん優しい笑顔で。

「僕と結婚を前提に、お付き合いしてください」
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