君の手が道しるべ
お手洗いの大きな鏡に自分の姿を映し、そのなんともいえず疲れた雰囲気に我ながら苦笑してしまった。週末ずっとあの言葉について考えていた結果、ろくにものも食べられず、当然ぐっすりと眠ることもできなかった。

「体力の回復も遅くなってるんだなぁ……」

 30を過ぎれば、いろんなことに弱くなっていく。25歳あたりで肌の弾力が落ちはじめ、27歳あたりで徹夜がきつくなり、30歳をこえるとてきめんに無理がたたる。

 このまま一人でどんどん弱っていくのかなぁ……と思った瞬間に、脳裏を大倉主査の顔がよぎった。

『僕のそばにいてください』

 とてもシンプルな言葉。

 でも、それを素直に受け止められるほど私は乙女でもないし、ずるくもない。

 大倉主査が家業を継ぐために会社を辞めることと、私がこの仕事に限界を感じて退職を考えるのとはぜんぜん別のことだ。

 会社から逃げ出す私の人生を、大倉主査が背負い込む理由なんてどこにもないのだ。

 それなのに、彼はいったいどういうつもりであんなことを言ったのだろう。

 手洗い場のふちに体重を預けるようにして、私は鏡に顔を寄せ、塗りすぎたコンシーラーをすこしずつ落とした。それはまるで、脳内を占領する大倉主査の言葉をすこしずつ捨てていくかのようだった。

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