君の手が道しるべ
そう言われれば、大倉主査に関しては「デートしてくれたら保険1億契約する」というマダムの申し出をあっさり蹴った、という、いかにもな逸話が速攻で流れていたっけ。

 それに比べて、「実は御曹司です」という破壊力抜群の噂が社内に広まらないのは、確かにおかしい。

「けどさ、その太田さんも実際に資産家なのは間違いないわけでしょ? あんたに3億の実績くれたぐらいだから」

「ああ、それは間違いないと思う」私は太田さんの豪邸を思い浮かべながらうなずいた。

「だとしたら、これは大変なことよ」

 史子が重々しく言った。

「新入行員を採用するときに、何より素性を重要視するウチの銀行が、大倉主査の素性をつかんでないはずない。それなのに、今まで誰もそのことを知らないし、噂のかけらすらない」

「……それのどこが大変なことなの?」

 私の問いに、史子はぐっと身を乗り出して声をひそめた。

「人事に箝口令が敷かれてる。つまり、よほど、大倉主査側……おじいちゃんか、商社から、うちに圧力がかかったのよ。絶対に伏せてくれって」

「……」

「そんな申し出をあっさり飲むなんて普通考えられない。ということは、銀行にとっては、そうまでして大倉主査を『預かる』くらいの超VIP扱いをしてるってことよ。その超VIPが、まさか香織みたいな超平凡な行員を嫁にするとか言い出したら、そりゃあ黙ってはいないでしょうねぇ」

 思いもよらない展開に、私は呆然となった。
 
「この話……」

 史子の目が一瞬翳った。

「あんたには向かないんじゃないかな」


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