可愛いなんて不名誉です。~ちょっとだけど私の方が年上です!~
第三話 それとこれとは別問題
 スズメのさえずる白けた朝、美夜子は社員寮のアパートまで車で送ってもらった。
 美夜子は夜の街に走ったものの、遊び場など知らない。学生時代は基本、学校と家を往復するくらいで買い食いもしたことがないし、就職してからはある意味同僚であるトラックやクレーンの写真を眺めて家でごろごろするという、仕事なんだか趣味なんだかよくわからない休日を過ごしている。
 そんな美夜子だが、一応三十歳だ。夜の街が危ないというくらいの常識はわかっている。というわけで、早々に夜の街に詳しい男を呼ぶことにした。
「私、当分ジェンガ見たくない」
「だよねー」
 運転席で美夜子の下の兄、月弥(つきや)がへらっと笑う。
 美夜子は朝四時まで営業している馴染みの中華料理屋で、「お客さん、閉店ですよ」と言われるまで月弥とひたすらジェンガをしていた。シューティングゲームもパチンコもある店、その中でなぜジェンガを選んだのか、しかも閉店まで続ける必要はあったのか、そんな疑問は消え失せるのが深夜のテンションだ。
 月弥はホストじみた格好と髪型をしているが、その職業は精神科医だ。「だよねー」「すごーい」「かわいそう」の三つの言葉だけで相槌を打ってくれるので重い話がしやすいと、彼のメンタルクリニックは結構繁盛している。
 そんな月弥は学生時代から培ったぺらぺらの貞操観念を遺憾なく発揮し、またそのせいでトラブルはおおよそ経験済みだった。夜の街など初歩きの美夜子を回収して中華料理屋にエスコートし、例の三つの言葉で相槌を打ちながらあくびを噛み殺していた。
「来週から何して休日過ごそう。だめかもしれん」
「かわいそう」
「あ、そうだ。引き出物のカタログを見るという手が……」
「すごーい」
 まったく誠意の感じられない相槌に美夜子もあくびをごまかしていた頃、車はアパートに到着した。
 ありがとうとお礼を言ってふらふらと車を降りると、部屋に入って倒れるように眠った。ただし一応始業時間前に上司に電話して、欠勤を伝えるのは忘れない美夜子だった。
 なぜか涼に怒られる夢を見た。ご祝儀が三十円足らないと指摘されて、真っ青になった。
 インターホンが鳴ったのは夕方だった。美夜子が目をこすりながら戸口に出ると、涼だった。
「すみません! 実は一枚だけ新札じゃなかったんです!」
 とっさに昨日の結婚式の失態を口走ると、涼はうろんげな目で見返してくる。
 美夜子は首を傾げる。涼のまとう空気が何か違う。いつものように淡々と指摘を始めるのではなく、自分を落ち着かせるように深く息をついた。
「一葉さ……」
「どうして、よりによってあんなチャラそうな男なんですか」
 開口一番の言葉は、よくわからなかった。美夜子が頭にはてなを浮かべると、涼は低く這うような声で続ける。
「欠勤を宣言してまで朝帰りするのは、ああいう男相手ですか」
 ん?と美夜子は思い当る。朝に帰ったら朝帰り。一晩相手をしていたのは男。まあ相手をしてくれていたのはむしろ月弥の方で、中華料理屋でジェンガしていただけではあるけども。
 どうも兄を誤解しているようだ。けれど昼夜逆転した美夜子の頭は、変なところで逆回転した。
「失礼な! ああ見えて気を遣ってコーヒーおごってくれました!」
 美夜子は力を入れて涼をにらみつける。
「大好きなお兄ちゃんです!」
「……ふうん」
 涼は全然信用していない風で、冷ややかに問いかける。
「証明できますか?」
「というと?」
「ところで、コーヒーしか飲んでないんですか?」
 涼はひょいと手に持っていたスーパーの袋を持ち上げてみせる。
「とりあえず中に入れてください。調子悪いのではと思って、食べ物買って来たんです」
「あ、ありがとうございます……?」
 釈然としないながらもお礼を言って、美夜子は一歩後ろに下がる。
 わざわざお見舞いに来てくれたのなら、お茶くらいは出した方がいいかもしれない。そう思いつつ部屋を振り向いたら、そのまま動けなかった。
 腰から胸にかけて、涼の腕が回っている。少し屈んで首筋に顔を埋められていた。
 抱きしめられてる? それに気づいた途端、美夜子はかっと顔が赤くなる。
「や、その、コーヒー以外も飲みました。ごめんなさい!」
「それとこれは別問題。今、ちょっと証明できましたよ」
 涼は玄関に入って背中で扉を閉めると、くすっと悪魔のように笑う。
「……処女かどうか」
 ガチャンと鍵がかかった音を、美夜子は既にゆでだこ状態で遠くなった耳で聞いていた。
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