可愛いなんて不名誉です。~ちょっとだけど私の方が年上です!~
第五話 告白は深夜ラジオで
 それから一週間、美夜子は日付が変わる頃まで残業が続いた。
 美夜子のいる運送業界はまだわりとブラックなところがあるが、彼女の勤める運送会社自体はかなり残業体質が変わっていた。初めて本社に配属された頃こそ合コンにも行けずに深夜に泣いていたが、それから二年が経つ今となっては夕ごはんまでには家に帰されている。
 ところが美夜子の上司が急な病気で入院してしまった。時期が悪すぎる。美夜子は仕事を覚えきっていない状態で、上司の代わりに決算に挑むことになった。
 「素早く」も「効率よく」も苦手な美夜子だ。うろたえて、ミスを連発して、それはもう大惨事一歩手前まで何度も追い込まれた。
「日野さん、待ってください。ここの項目が入れ替わってます」
「ひええ!」
 そうならなかったのは、美夜子の後ろに一葉涼という鉄壁の経理担当がいたからだった。
 まぬけな悲鳴を上げた美夜子に、涼は赤ペンを指に挟んだまま電卓を叩く。
「……とんで二十。これで計は合いますので、端数を処理しましょう」
「はい! わかりました!」
 だいぶ疲れ気味だが返事は元気よくして、美夜子はもう一度計算を始めた。
 すでに夜十時で、美夜子のラインの後ろにいる涼も帰れない。彼はいつも通り文句一つ言わずに書類をチェックしては指摘してくれるが、迷惑もはなはだしいのは承知している。
 ごめんなさい。でも今謝っても意味がないから、詫びはこの仕事が終わってからゆっくり。……その頃には好きと言ってくれた気持ちさえしぼんでいるかもしれないけど、私、いろいろと時間がかかるから。
「ちょっと休憩しましょう」
 ふいに目の前にクッキーが差し出されて、美夜子は顔を上げる。
 事務所には美夜子と涼しかいなくなっていた。涼は自販機で買ってきたらしいペットボトルの水を飲みながら、近くの椅子を引き寄せて座る。
「これ、夜に食べたらだめなやつですね」
 美夜子は笑って、涼にもらった手のひらサイズのチョコチップクッキーに口をつける。
 正直この時間に何を食べてもおいしくはないはずだが、こういう気遣いはありがたくもらう美夜子だった。明日は胃もたれがするのを覚悟で、端からぽりぽり食べる。
 パソコンの駆動音とクッキーをかじる音が混じるシュールさ。社畜と笑う者には笑わせておけばいい。美夜子はこの仕事が好きだった。
「深夜ラジオのノリで、一葉さんにお話ししたいことがあります」
 涼は美夜子の言葉に一拍黙って、どうぞと返す。美夜子はお礼を言って切り出した。
「私、一葉さんが好きでもいいですか?」
 鉄面皮といわれる涼が、かすかに何かの感情で表情を動かす。それが確かなものに変わる前に、美夜子は続けた。
「だって頼りになりますもん。しっかりしてて、かっこいいですもん」
 とても面と向かっては言えなかったけど、今は深夜ラジオだからいいか。そう思って美夜子は口をむずむずさせながら打ち明ける。
「もうちょっと。もうちょっとで残業も終わりますから! まだ見捨てないでください!」
 頭を下げた美夜子に、涼は噴き出すように笑った。そろそろと美夜子が顔を上げると、涼は職場では決して見られなかった柔らかい表情で美夜子を見返す。
 涼は美夜子の口の端についたクッキーのかけらを手で拭いながら言う。
「たとえば美夜子さんの、つらいときでもちょくちょく笑わせてくれるところ。前向きなところ。好きですよ」
 美夜子が慌てて口の端を拭おうとしたら、涼は口を寄せてクッキーのかけらをぺろっとなめとる。
「ちょっ! ここ、職場ですよ!」
「明日から出勤しなくなります?」
「まさか! もし監視カメラで一部始終撮られていたとしても、決算を締めてみせます!」
 涼はまたぷっと噴き出して、じゃあと美夜子の耳に口を近づける。
「……それなら一週間前の夜をもう一度ここでも再現します?」
「ひええ! 堪忍を!」
 またまぬけな悲鳴を上げた美夜子から離れて、涼は椅子から立ち上がる。
「残念。では、楽しみはまた今度ということで。深夜ラジオではなく、改めてお話したいこともありますし」
 そう言って涼は席に戻っていく。
 美夜子ははてなと首を傾げたが、はっとして仕事に無理やり切り替えることにする。
 美夜子が無事決算に書類を提出した、前日のことだった。
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