君と描く花言葉。
溶けあう
酔蝶花
温室に来るようになって、もう何度目かもわからない日曜日。
夏休みの間も、夏休みが明けてからも、私は変わらず毎週日曜日、ここに来るのが習慣になっている。
今日もいつものように朝から入り浸っている私は、絵に没頭しているセイジを置いて、1人廊下に飾ってある絵を見ていた。
廊下は次々に生み出されていく新しい絵で埋め尽くされていき、私が来るようになる前にセイジが描いていたのだろう元々飾ってあった絵は、少しずつ地下の物置に追いやられていった。
廊下には、私が描いた絵も何枚か飾ってくれている。
自分の過去の絵を地下に追いやってまで飾らなくて良いのにと口にしたことがあるけれど、セイジは「俺が飾りたいから」と言って聞かなかった。
もともと新しい絵を飾って古い絵をしまっていくというサイクルをずっと繰り返してきたと聞いているものの、そこに私の絵が入ってくるのは少しくすぐったかった。
この絵はこんな話をしながら描いた。
この絵は誰にも見えていない、セイジの完全なる想像の世界だ。
この絵を描いた時は、確かミルクティーをこぼして大惨事になったっけ。
見るだけで蘇る思い出が詰まったそこは、まるで走馬灯のようだと思った。
2人で描いたアマリリスは、完成した日からずっと楽しそうにおしゃべりをしている。
私の世界をセイジが描いたマーガレットもとっくの昔に完成し、廊下展示の仲間入りをしていた。
綺麗な緑のグラデーションが施された花びらは紛れもなく私が見たマーガレットそのもので、完成した時は2人ではしゃぎあったものだ。
どうしてわかったの?と私が聞き、見えたから、とセイジが返す。
その日からセイジは、私の世界をよく見るようになった。
この廊下には、セイジが手がけた私の世界がもういくつも飾られている。
「他の人の世界が見てみたかった」と言うセイジは、すっかりその感覚にハマってしまったようだった。
かくいう私も、何も説明していないのに私が見ている世界を忠実に再現していくその凄技を、特等席で見るのが楽しくて仕方なかった。
これ以上なく、“私が理解されている”と思った。