この空を羽ばたく鳥のように。




 緩んだ腕から素早く逃げると、距離を保って両手で胸を掻き抱く。

 怯えながらも八郎さまを睨み据えると、彼はなおも追うようなことはせず、心が萎えたように両腕をだらりと下げてその場に立ち尽くした。

 その表情にやましいことをしたという感はなく、ただただ傷ついた目をしてぽつりとこぼす。



 「……そうでした。あなたは、嘘がつけない方でしたね……」



 力を失い空っぽになった身体から絞りだすように呻くと、
 私から地面に視線を落として彼は深く頭を下げた。



 「―――ご無礼いたしました」



 そんなひと言で詫びると、足早に門を出てゆく。

 私は身をすくめたまま、八郎さまが去っていった門をしばらく睨み続けていた。

 そうして彼が戻って来ないことを充分確かめたあと、やっと安堵してその場にへなへなと座り込む。


 全身が 震えていた。


 筋骨逞(きんこつたくま)しい若者が、こんなに怖いものだなんて、思いもよらなかった。

 本気を出されたら、私なんてまるで敵わない。

 動きを封じられて身体が密着した感じや、耳朶(じだ)にかかる熱い息が思い出されて離れない。

 それらを払うように、大きく身震いした。



 (―――喜代美)



 とっさに喜代美に助けを求めていた。

 私の心に喜代美が根づいていることを、八郎さまは瞬時に感じ取ったに違いない。

 だから手を離した。



 (おかげで助かった……)



 ゆっくりと息を吐く。

 しばらくその場で落ち着きを取り戻すと、まだ心許ない足取りで台所へ向かおうとした。

 すると、こちらに向かって駆け寄ってくるみどり姉さまが見えた。

 姉さまはなぜかあわてた様子で私を見つけると、その後ろを探るように首を伸ばす。



 「どなたかいらしていたの?」

 「あ、ええ……まあ……」

 「―――八郎どのね」



 歯切れの悪い返答に、みどり姉さまは即座に言い当てる。
 きっとおたかから聞いたんだ。
 言葉に詰まってうつむくと、髪に挿した櫛に気づいてみどり姉さまが目を瞠った。



 「その櫛。八郎さまからいただいたの?」

 「これは……」



 あわてて櫛を取り、後ろ手に隠す。
 あまりのことに気が動転して、櫛のことなどすっかり忘れてた。

 そんな私を見つめて、みどり姉さまは苦い顔でため息をつく。


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