この空を羽ばたく鳥のように。
突然 八郎さまの名が出て、私の表情が固まった。
八郎さまのことは、後ろめたい思いがあり、ずっと言えないままだった。
喜代美はどんな些細な変化も見逃さない鋭いまなざしを私に向け、それでも穏やかに続けた。
「私の不在のおりに、八郎兄上が幾度か屋敷に立ち寄っていたことは存じております。
祭礼の晩 手にしていた櫛も、実は兄からの贈り物だということも。
みな、みどり姉上からうかがいました」
「ごめんなさい……!八郎さまがいらしてたこと、隠すつもりじゃなかったんだけど……なかなか言えなくて……」
申し訳ない気持ちを詫びると、喜代美は責めるでもなく微かな笑みを返す。
「よいのです。兄は私にではなく、あなたに会いに参られたのですから」
そして一度 目を伏せてから私に視線を戻すと、ゆっくりと口を開いた。
「八郎兄上は立派な方だ。あなたの伴侶としても、この家を継いでゆくにも申し分ない人物です。
あなたが兄を婿に迎えたいと願い出るならば、私も一緒に口添えいたします。
さすればきっと、父上もお許しになって下さるでしょう」
「え……!?」
「実家の父母も、兄と私が入れ代わる形であれば、納得して下さるはずです。
ですから大丈夫。何も案ずることはありません」
その唇からよどみなく告げられた言葉に、私は愕然とした。
「ば……バカなこと言わないで。あんた、自分が何言ってるか分かってんの……!?」
なんということ。
喜代美の意図することは、彼のすべてを無にすることだ。
今までの努力を惜しみもせずに、こんな簡単に自分から放棄するなんて。
喜代美は莞爾と笑った。
「私のことはいいのです。
あなたが幸せになれるなら、それで良いのです」
いつものように柔らかく笑いながら事もなげに言う彼に、張り飛ばされたような強い衝撃を受けた。
※伴侶……配偶者。
※口添え……交渉などがうまくいくように、そばから言葉を添えてとりなすこと。
※意図……あることを実現しようと考えること。また、考えた事柄。
※莞爾……にっこり笑うさま。
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