この空を羽ばたく鳥のように。




 出かけたまま、喜代美は帰ってこなかった。

 夕餉の時間になっても姿が見えない。

 喜代美が行き先も告げずに出かけるなんて、今まで一度もなかった。

 だからこそ家族はひどくあわてて、源太や弥助にあちこち探しに行かせた。


 お礼の挨拶に訪れた金吾さまに訊ねても、首をひねるばかり。友人宅にも実家にも、そして通う道場にも喜代美の姿は見あたらない。


 私の心は不安と焦りでいっぱいだった。
 喜代美の身に何かあったらどうしよう。

 日が暮れてしまい、女の身では探しに出て行くことも叶わず、後悔に苛まれながらうらぶる心を押さえて帰りを待つしかできない。

 組んだ両手を額に当てて祈る。



 (お願い、喜代美。早く帰ってきて……)



 家族の心配をよそに、喜代美がやっと帰ってきたのは夜四ツ(午後10時)過ぎだった。

 ふらりと帰ってきて姿を現わすと、休まず待っていた家族は叱りもせずに安堵で胸を撫で下ろした。

 とりあえず遅い夕餉を取らせてから、喜代美は父上と母上の部屋に呼ばれた。

 私とみどり姉さまは襖の外で様子を窺う。
 喜代美は今までどこにいたのかを問い質されていた。


 喜代美は弁天山(飯盛山の別称)に行っていたのだという。



 「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)へ参拝して参りました」



 円通三匝堂。通称さざえ堂と呼ばれるものが、弁天山の中腹に建てられている。


 寛政八年(1796年)、正宗寺の住職・郁堂(いくどう)和尚によって考案されたこの仏堂は、六角三層の御堂で内部は傾斜のついた回廊で出来ていた。


 二重螺旋という不思議な構造で造られたそれは、行く人と帰る人がけして交わることがない。


 これは当時庶民の中で流行っていた西国三十三所の札所巡りを、会津にいてもできるようにしたもので、御堂の中に三十三観音を祀り、一巡するだけで手軽に札所めぐりができるという仕組みだった。


 そのあと喜代美は日が暮れるまでそこから城下町を眺め、そのまま夜話(夜の什の集会)へ出向いたのだという。



 「なぜ 円通三匝堂に?」



 父上が訊ねると、喜代美は重苦しい様子で答える。



 「……己の未熟な心を戒め、清めるためにです」



 それを聞いて、私の心がズキンと痛む。










 ※(さいな)む……責め苦しめる。

 ※うらぶる……心の中で、つらいと思う。心配する。


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