この空を羽ばたく鳥のように。
 



「許す……努力……?」



鳥飴に視線を落とす喜代美に、眉をひそめて訊ねる。彼はこう答えた。



「強い憎しみは、さらなる憎しみや悲しみを生むでしょう。
憎み続けておれば、それのみに捕らわれてしまい、いつしか心は蝕(むしば)まれ視野が狭くなってしまう」



鳥飴に向けていたまなざしを再び私に向けると、喜代美はそのまま穏やかに言葉を添える。



「相手を許すことは、己の心をも救うことにつながるのです。

それに、戦で斃(たお)れていった方がたは、きっと仇討ちなど望まないはずです。

守りたかった人が恨みの情念に駆られ、修羅の道へ落ちるなど、誰が望むでしょうか」



言われてハッとする。喜代美は頷いた。



「本来 武士とは、主君のために戦場で死ぬことを誉れとしております。
それが武士の存在意義であり、美徳なのです。

なれば仇を討ってほしいなど、考えも及ばぬはず。それは敵も同じでしょう。

死にゆく彼らの望みは、自身の無念を晴らすことではありません。
国の安泰と、生き残った者達の幸せです。

己が消えたあと、たとえどんなにつらくとも、笑顔を忘れず懸命に生きていってほしいのです」


「……笑顔と、幸せ……」


「はい」



ゆっくり、けれどはっきり頷く喜代美の瞳は、いつにもまして柔らかな優しさに満ちていて。

私は彼の思慮を、気弱だと責めたことを後悔した。



(ああ……そうよね。あんたはそういう子だったものね)



どんな相手にも向けられる博愛の精神。

喜代美には、そんな懐(ふところ)の深さがある。



私は、遺された者たちの悔しい気持ちだけだった。

戦い死んでいった藩士たちの思いまで、考えが及ばなかった。



喜代美がそこまで考えるのは、いつか自分も、そちらの立場に立つものと信じているから?



得も言われぬ不安に目を伏せると、手にしていた舐めかけの鳥飴が視界に映る。

溶けて形を失いつつあるそれは、まるで悲しみに泣いているように見えた。










※情念(じょうねん)……心に深くまつわり、理性では払いきれない想念。悲喜・愛憎・欲望などの激しい感情。

※修羅(しゅら)……激しい戦闘や醜い争いのたとえ。また、激しい怒りや情念などのたとえ。

※思慮(しりょ)……深く考えをめぐらすこと。また、その考え。



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