この空を羽ばたく鳥のように。
 



喜代美のもとに駆け寄りたい衝動をなんとか抑えながら、かわりに化粧箱の小さな引き出しを開ける。



取り出したのは、八郎さまから預かったままの黒漆の櫛。



行灯の明かりに照らされて、艶やかに光る漆黒の表面に私の顔が映る。



(……なんてひどい顔)



泣き疲れて、老け込んだように若さが見えない。


そんな自分を見たくなくて、背けるように櫛の角度を変えたとき、
艶やかに光るその表面に、八郎さまの顔が映った。



(………!)



息を呑んだ。次いで後ろを振り返る。

部屋の中には、私以外誰もいない。



「……八郎さま?」



ドクンドクンと、騒ぐ胸をおさえてつぶやくように呼びかける。



怖かったからじゃない。

だって、櫛に映った八郎さまは優しく微笑んでおられた。



「八郎さま!」



(櫛を通して、私に会いに来てくださったの?)



あわてて部屋の中を見回すけれど、姿を見つけることはできない。



それでもまだ魂が近くにいるのではないかと、必死で彼の名を呼んだ。



「八郎さま……八郎さま!
教えてください、これで本当によかったのですか?

あなたさまは、このような生き方を望んでおられたのですか……?」



応えのない問いかけを口にしながら、また涙があふれだす。


出るにまかせて頬をつたう涙を払うようにかぶりを振って、自らの問いを打ち消した。



(いいえ、そんなはずはない)



彼はこんなふうに命を終えるために生まれてきたんじゃない。





八郎さまは、私よりひとつ年上の十九歳だった。



十九年。その歳月は、長いようでなんて短いんだろう。



八郎さまの人生は、これから開けるはずだったのに。



そう思うと残念で無念でたまらなくなる。





なぜ、戦争など起こるの?



なぜ人の命を、簡単に奪ってしまえるの?



人は、幸せになるために生まれてくるのではないの―――?






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