この空を羽ばたく鳥のように。
 



あらかたの支度がすんで落ち着いたころ、床で休んでいた母上が身支度を整えて起きてきた。


気鬱のせいか弱々しく見受けられる母上は、客間におられたえつ子さまとお祖母さまに丁重な挨拶をすませてから、居間で女中ふたりを招き寄せた。



集まったふたりの顔をゆっくり見渡して母上はおっしゃる。



「今日まで本当によく尽くしてくれました。これよりお前達に暇を出します。
長いあいだ仕えてくれたこと、心から感謝します。これはほんの志ですが取っておきなさい」



弱ったお身体にはそぐわない、きびきびとした口調でそう告げると、母上はひとりひとりの前に金子(きんす)の包みを置いた。



「これを持ち、陽が落ちる前に里へ戻りなさい」


「そんな……奥さまやお嬢さまがたを残して、私どもだけ逃げるなんてできません!どうかこのまま留め置きください!お城へ上がる時は私どももお供いたします!」



おたか達がそう言ってくれるのへ、母上は静かに首を振る。



「お前達は武家の出ではありません。それにおたかはまだ若い。ここに残り、万が一敵に捕らわれたらどうしますか。

奴らには臣も民もありません。女子とあればどんな辱しめを受けるか、お前とてわかるでしょう」



それを聞いて、にわかに表情が曇る。
おたかなんて真っ青だ。


母上は優しく語りかけた。



「弥助もいることだし、私達は大丈夫。お前達が気兼ねすることはありません」


「奥さま……」


「さあ、早く屋敷を出なさい。今ならまだ陽が落ちるまで時間があります。
ぐずぐずしていると逃げる機会を失うかもしれません。
必要なものがあれば持ち出しても構いませんよ」



母上に促され、しぶしぶ暇乞いをすると、おたか達はすぐに支度に取りかかった。

支度が終わり屋敷を出てゆくおたか達を、私達は傘をさして門の前まで見送った。





「さよりお嬢さま……」



おたかは目を潤ませながら私を見つめる。


身分は違えど家族のように、妹のように接してきたおたか。

離れてしまうのはやっぱり寂しい。



「今までありがとう、おたか。達者で暮らすのよ」


「さよりお嬢さまも、どうかご無事で……」


「ふふ、私なら大丈夫。そんな簡単にくたばらないわ」



私が明るく笑って見せると、おたかもつられて笑う。



「喜代美さまも……きっとご無事でお戻りになられますよ」


「そうね。私もそう信じてる」



笑みをたたえたまま強く頷くと、おたかも目元を拭って精一杯笑った。



「さあもうお行き。天気が悪いからすぐに暗くなる。夜になるとあぶないわ」



そう言って促すと、おたか達は後ろ髪を引かれる思いでなんども振り返りながら、雨のなか屋敷を立ち去っていった。










※暇(ひま)……主従の関係を断つこと。

※志(こころざし)……好意・謝意などを表すために贈る金品。

※気兼ね(きがね)……他人に気を遣って、遠慮すること。

※暇乞い(いとまごい)……別れを告げること。また、別れのあいさつ。


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