この空を羽ばたく鳥のように。
 



あまりの衝撃に目元が潤んで視界が滲む。
でもすぐに涙を見せてはいけないと腕で目元を拭った。



あらためて藩士を見つめる。



年は壮年、身なりからして中級か下級の侍のように思えた。
よれた着物を染める夥(おびただ)しい血が、敵を防ぐため激しい戦闘に身を投じたことを物語っている。

一家の主(あるじ)だとしたら、守るべき妻子もいただろうに。





(私は何もしてあげられなかった。何も―――)





せめてもの思いで、力を失い畳に落ちた両の手を取って、胸の上に組ませる。
無造作に巻かれた包帯で崩れてしまった髷(まげ)も、指でできるだけ整えてみる。

亡くなった藩士の顔に先ほどの苦しそうな表情はなく、それは穏やかなものだった。

私が応じたとき、水が飲めると安堵し微笑した、あの時の表情のまま息を引き取ったように思えた。





(私がもっと早く水を持ってこれたなら―――)





くやしさと哀しみに胸が詰まり、ぎゅっと目をつぶると涙が落ちる。

心残りで動けずにいる私とは反対に、医師はさっさと立ち上がり、負傷者を運んできた人夫達に指示した。



「おい。あの者を運び出してくれ。次の患者を入れるんだ」



亡くなった者をさっさと切り捨てるような、冷酷とさえ取れる言葉。



驚いて医師を見上げる。医師はこちらを顧みることもせず、他の患者を診(み)るため離れていった。


ふたりの人夫がこちらに近寄り、遺体を運び出そうとする。
私は夢中で取りすがった。



「ま……待ってください!せめて、御家族の方が引き取りにこられるまで、ここに置いていただく訳にはまいりませんか?」



人夫達は困ったような顔を見合わせ、首を左右に振る。



「先生に診てもらわなければならない負傷者があふれておるんです。

それに今 城内は混乱してるで、お身内を探す余裕のある者はおらんじゃろ」


「なら私が……!私が探しますから!」



言い募るけれど、ほとほと困った様子で待っていられないと人夫は言う。



「お身内が城内におるとは限らんじゃろう。郊外に逃げとるかもしれません。
お気持ちは分かりますが、あきらめてくだせえ。

ご遺体は一ヵ所に集められ、身元を調べたあと空井戸に葬ることになっておりますで」


「そんな……!」


「しかたないんですよ。それが戦っちゅうもんです。おい、そっち持て」



嫌な仕事はさっさと済ませようとばかりに、人夫達は私を振り切り遺体を運んでいってしまった。



取り残された私は呆然と畳に手をつく。



彼らの言い分は分かる。頭では分かっているけど、どうしても心がついてゆかない。





『しかたないんですよ。これが戦っちゅうもんです』





亡くなった者を悼み、労り、感謝し、懇ろに送り出す暇(いとま)さえない。





人のいのちが。生きていた身体が。証が。





こんなにも簡単に、捨て去られてしまうなんて―――。










※壮年(そうねん)……働き盛りの年ごろ。

※懇ろ(ねんごろ)……心がこもっているさま。親切でていねいなさま。



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