この空を羽ばたく鳥のように。



城内に兵力が増えることを喜ぶ一方で、兵糧はかなり危ぶまれていた。





「……っ、あつつ……っ」



炊事場に適当な石を積み上げて造った石竃(かまど)を新たに十数個 設置し、そこから炊きあがってくる御飯が飯櫃(めしびつ)で運ばれてくると、すぐさまそれをおむすびに握り始める。

炊きたてだから、熱くてたまらない。
手の皮が剥(む)けそうだ。

何度も何度も水盥に手を浸しながら握り続ける。けれど私達が握っているのは、白米でなく黒米(玄米)。精米する暇がないため、そのまま炊いているのだ。これが粘りが出ずになかなか形がまとまらない。



塩は天守の地下にある塩蔵に蓄えがたくさんあったので不自由しなかったが、城内に蓄えられていた白米は、籠城当日にほとんど底をついている。
理由は軍事局が籠城することを予測せず、城内に糧食の用意を何もしていなかったからだ。

そのため城内には、藩主家族の一時(いっとき)の食糧として用意されていた白米わずか六•七俵しかなかった。あとは二の丸にある社倉に黒米が四•五百俵あるだけ。

他は郭内の城外南側、五軒丁にある二カ所の十八蔵と称される米蔵と、五之丁にある米蔵に備蓄されていたが、そこから米を運び出す余裕はなかった。
これらの倉庫は遮蔽物として敵に利用されるのをおそれ、軍事局の命により焼却させられてしまった。





(何故 事前に糧食を用意しておかなかったのか)





考えるだけで腹が立つ。

それどころか聞いた話では、西軍が次第に国境に迫りくる際に、軍事奉行の飯田兵左衛門さまが「万一のため、城外の米蔵の米を城内に搬入して備えるべし」と建議したにもかかわらず、重臣の方がたはそれを「軍の士気を阻喪させる不吉な言」と非難したあげく、飯田さまを軍事奉行から玄武足軽中隊頭に降格させてしまったとか。

まったく、なんと理不尽であり得ないことか。



軍事局はすわ籠城戦ということになって、慌てて近くの村から社倉米や味噌•薪炭等を運ぶように命を出したというけれど、敵に包囲されている中を搬入するのは容易ではないだろう。



口に出しては言えないけど、籠城当日のことといい、目に余るほどの不手際に、お偉い様がたには憤りを通り越して呆れかえるばかりだわ。










※糧食(りょうしょく)……備蓄•貯蔵や携帯する食料のこと。

※建議(けんぎ)……意見を上申すること。その意見。

※阻喪(そそう)……意気がくじけて元気がなくなること。

※すわ……突然の出来事に驚いて発する語。そら。さあ。

※社倉(しゃそう)……農村に置かれ、飢饉などの時に農民を救済するため平常から米や穀物を貯蔵しておいた倉。明暦元年(1655年)、保科正之が会津藩領内で実施したのが最初とされる。


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