この空を羽ばたく鳥のように。
上空で風を切る音が聞こえる。どうやら小田山からの砲撃目標がこちらに向いたようだ。けれど近くで轟音が鳴り響いても、誰ひとりとして腰を浮かせる者はいない。みな腹を据えて難事に当たっているのだ。死を恐れて作業の手を止める者はいなかった。
そんな中でお八重さまだけが立ち上がり、そばにあった水桶に浸していた羽織をつかんで庭に出た。
水桶は砲弾の火薬で起こる火災の火消し用として置かれていたものだった。
その桶にいつのまにか羽織が浸してあったとは知らなかった。
お八重さまが空を睨む。
音がいっそう近くなったかと思うと、突如 屋根の一部を破壊して砲弾が庭に落ちてきた。
短い悲鳴があがり、さすがに動揺が広がる。
私も背筋が凍った。だって早合をつくるための火薬がここにはたくさん置いてあるのだから。
(もし引火したら……大変なことになる!)
「みんな 下がって!」
お八重さまが叫んで、砲弾に向かって駆け出した。
「お八重さま‼︎ 」
それこそキャーッと悲鳴が沸き起こり、皆が総立ちになる。
砲弾が落ちてすぐ、お八重さまは濡れた羽織で弾を包むようにして抱きかかえうずくまった。
「お八重さまダメです‼︎ お放しになって‼︎ 」
爆発したら、お八重さまのお身体がバラバラに千切れ飛んでしまう。驚愕して、皆が息を呑んだ。
「………?」
不思議なことに、いつまで経っても砲弾は爆発しなかった。お八重さまはむっくり起き上がると、こちらに向けてにっこり笑った。
「もう大丈夫。この弾は爆発しないわ」
「……⁇ お八重さま、これはいったい どういうことでしょうか?」
皆が狐につままれたような面持ちで訊ねると、お八重さまは弾を持ったまま立ち上がり、私達のもとへ戻ってきた。
「なぜこの弾が爆発しなかったのか、説明するわね」
そうおっしゃって膝をつき、抱きかかえていた丸い弾を静かに板の間に置く。婦人達はおそるおそる近づいた。
「これはドイム臼砲の弾よ。柘榴(ざくろ)弾というの。中に火薬と鉄片が入っていて、炸裂すると熟れた柘榴の実みたいにはじけて四方に鉄片が飛んで殺傷するの」
ゴクリと唾を飲む。これが爆発していたら、きっと私達はただでは済まなかった。
お八重さまは丸い弾にひとつだけ付いている突起部分を指した。
「これが信管。弾の入り口に筒状にはまっていて蓋の役目もしてるわ」
なるほど、突き出た部分をねじり回すと、筒状のものが顔を出した。
そして弾を逆さにすると、その穴から火薬と鉄片が出てくる。
「この信管は起爆装置で、衝撃を受けると爆発する仕掛けなの。ただし、地面に落ちた衝撃から炸裂するまでに、少しの間がある」
「では、お八重さまは……」
お八重さまはこっくり頷いて、
「着弾した時に発火した信管を濡らして消したのよ」
濡れた羽織で。一歩間違えれば消火が間に合わず、その身もろとも破裂していたかもしれないのに。
「お八重さま……あなたという方は……」
なんて人だろう。
その豊富な知識にも感嘆するけど、なんといっても賞賛するべきはその胆力にほかならない。
私にも出来るだろうか。
―――いいえ、やれるわ。やらねばならない。きっと、この仕事は。
「お八重さま。この仕事、私にも出来るでしょうか」
うまくいけば城内の被害が少なくなる。
そのためなら危険なんて顧みない。
「出来るはずよ。わたくしはやります」
讃岐門の呼びかけの時のように、ためらいもなく申し出たのはたつ子さま。
また先を越されてしまったようだ。
でも、何だか嬉しかった。
※ドイム臼砲(きゅうほう)……オランダのモルチール砲。ドイムとは当時のオランダで使われた長さの単位で、1ドイムが1cmに相当する。
榴弾を曲射する青銅製の前装滑空砲。会津戦争で西軍による攻城戦で威力を発揮したのは20ドイム臼砲で最大射程は1500m。ただし全備重量が669kgと重く、機動性に乏しかった。
※胆力(たんりょく)……物事を恐れたり気おくれしたりしない気力。度胸。
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