この空を羽ばたく鳥のように。




その日、負傷者は昼前からどんどん運ばれてきた。

大書院も小書院も傷病者が溢れていたので、近辺はまたたく間に立つ場所もないくらいの人で埋め尽くされた。他の座敷に運ばれた負傷者達もたちまち混雑を極めた。



「どうぞこちらへ!」

「こちらが空いてございます!こちらに寝かせてください!」



身体を横たわらせる布団などもうなかった。畳を取り払った板の間に(こも)(むしろ)を敷いて寝かせるだけ。
武家の婦女子も奥女中も、手の空いてる者はこぞって看護にあたった。采配を振るうのは照姫さまだ。



「運ばれた者から患部の衣服を切り取り、傷口をあらため洗い(きよ)めなさい!」

「はい!」

「医師の手は足りませぬ!出来得ることはわたくし達で行うのです!」

「はい!」



きびきびと指示する照姫さまを頼もしく思いながら、私達も最低限できる手当てを施す。

けれどもあまりにも切れ間なく運ばれてくる負傷者に、補給もない限られた薬品と包帯では到底間に合うはずもなかった。

負傷者は重傷な者ばかり。中には砲撃で手や足を砕かれ、骨肉が剥き出しになっている者もいた。
彼らは運ばれてきても手当のしようがなく、欲しがる水を飲ませてあげることしかできない。医師を待つあいだの数刻で命を落とす者もあった。



「気をしっかりお持ちください!今、先生が参りますから!」



この状況を見れば、今朝の戦闘がいかに激しいものだったかがわかる。

戸惑いながらもできるのは、彼らの手を握って励まし続けることだけ。

血と汗と泥水で、兵士達の衣服も濡れていた。
これでは身体が冷えて体温を奪ってしまうのに着替えさえない。



(どうしたらいいの……!)



別の部屋で看護をしていた中野優子さんが、不安気な顔でやってきた。



「あの、包帯や(さらし)は余っておりますでしょうか」



優子さんの顔色はさえない。

無理もない。昨日やっと入城して少し休んだだけでもう仕事に従事しているのだ。

竹子さまの死を悲しむ暇もないくらいの仕事が山ほどある。けれど彼女もご母堂のこう子さまもそれを望むかのように立ち働いていた。



「ごめんなさい優子さん、こちらももうないの。他を当たるしかないわ」


「困りましたわ……どこを訊ねても、もうないのです」



包帯に()てる晒や白布はどこでもとっくに尽きていた。
汚れた包帯は随時洗っているが、乾くのが間に合わない。

どうしたものかと悩んでいると、ちょうど奥女中の板橋たつ子さまが何かを抱えて姿を現した。
たつ子さまは私達の前に進み出ると、いくつかの巻かれた白布を差し出した。



「包帯の代わりに、これをお使いなさい」


「ありがとうございます!ですがこれは……」


「畏れおおくも照姫さまが、ご自身のお召し物の衣帯を解き、包帯に成さしめよと賜りました白布です」


「なんと……そのような貴重なものを……?」



驚いて声をあげると、たつ子さまは厳しい顔で頷いた。



「照姫さまより蔵に所蔵している衣服をすべて開放し、負傷者に充てよとの命です。姫さまは大切なご衣裳を高価なものと惜しんで蔵に死蔵させるよりは、兵のために使いなさいとありがたくも仰せになられたのです。
その情け深いお心に従い、わたくし達奥女中の所有する着物もすべて提供します」


「たつ子さま……」


「帯芯は包帯に。着物は女物ではありますが、濡れている衣服よりましでしょう。用意できしだい届けさせますから、着替えさせてあげてください」


「ありがとうございます!」



その言葉に安堵して、照姫さまの深いお心遣いに感謝が込み上げる。なんと賢くお優しい姫君であらせられることか。

それからすぐ着物や包帯が届くと、早速作業をはじめた。



「さあ、濡れた衣服を着替えましょう。お身体は起こせますか」



老齢の兵士の傷口を洗浄して包帯を巻くと、断りを入れてから着替えるために衣服の胸元を広げる。



「なんだ、それは……女物ではないか」


「そうなのですが、これしか着物がございません。辛抱してくださいまし」



老齢の兵士は苦しそうな息を吐きながらも納得いかない顔つきで睨んできたが、「照姫さまの御厚情でございます」と付け加えるとしぶしぶ着替えに応じた。

着物を脱がせると、その兵士の血に染まった襦袢には何か文字が書いてある。不思議に思って着替えを済ませたあとこっそり襦袢を広げてみると、

そこには「慶応四年八月二十九日討死 佐川幸右衛門直道生年六十三才」と書き付けられていた。



(佐川―――もしかしてこの方は、佐川隊長の……?)



「慶応四年八月二十九日 討死」と書かれた文字を見て、ゆうべの山浦さまのお言葉がよみがえる。

戦いに臨んだ藩士達はみな死ぬつもりだった。

この書き付けから悲愴な覚悟が読み取れて、胸を突かれる思いがした。

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