この空を羽ばたく鳥のように。
「ーーーダメです!」
思わず 叫んでいた。
「あきらめてはなりません!きっと山浦さまは良くなります!ですから捨て鉢にならないでください!」
「そうです!さよりさんのおっしゃる通りです!あきらめたら、そこで終わりなのですよ⁉︎ 」
私と優子さんの言葉に、山浦さまの動きが止まる。けれど抗うようにギラギラした目が私達を睨んでいる。
「山浦さま。生きて……生きてください!たとえこのまま果てることになっても、最後まで生きることをあきらめないでください……!」
ぼろぼろとこぼれる涙そのままに訴える。
生きて。生きて。
最後の一瞬まであきらめないで。
輝きが消える、その時まで。
「……あいつは」
山浦さまはうつ伏せで床を睨みながら、か細く呟いた。
「あいつは……鉄太郎は、優秀な奴だった。
兄上をはじめ、家人の誰もが将来を有望していた。
あいつは、こんなところで死んでいい奴じゃなかった。山浦家の跡取りとして残らなければならない男だった。
生涯部屋住みの、穀潰しの俺なんかより、よっぽど必要な奴だったのに……!」
剣呑さを失った山浦さまの目から、大粒の涙があふれる。
今までの繕った口ぶりではない、山浦さまの本当の言葉。胸にある苦衷を涙と一緒に吐露する彼は、あまりにも痛々しく見えた。
かける言葉に窮していた私とは違い、愁嘆に震える彼の肩にそっと触れたのは優子さんだった。
「山浦さま。わたくしも同じです」
「優子さん……?」
「わたくしも先日、戦場で行動を共にしていた姉を亡くしました。文武に秀で、美しく賢い自慢の姉でした。皆さまが姉の死を悼んでくださりました。
ですがわたくしは、姉を失った日から自分を責めております。
誰からも嘱望されていた姉を、みすみす死なせてしまった……わたくしが盾となって姉の身を守るべきだったのに。姉の代わりに、わたくしが死ねばよかったのです」
「優子さん……‼︎ 」
驚いた。そんな思いを胸に秘めていたなんて。
気づきもせずにいた。優子さんの深い傷。
自分の中では優子さんを気にかけていたつもりだった。
でも、彼女の本当の気持ちを知ろうとしていなかった。
山浦さまが優子さんを見上げる。まだ十六歳の少女は、涙も見せずに静かに微笑んだ。
その時初めて、山浦さまは優子さんの美しさに気づいたようだった。
「……そなたの名は、優子どのと申されたか」
「はい。江戸定府で納戸役を勤めておりました中野平内の娘、優子と申します」
それを聞いた山浦さまは「ああ」と得心がいったような声を漏らした。身体の力が抜けて、床に身を横たわらせる。すかさず優子さんが介助した。
山浦さまは仰向けになると頰の涙を手で拭い、気恥ずかしそうにおっしゃった。
「中野平内さまのご息女でしたか……。では姉君というのは、竹子どののことでしょうか」
「はい……姉をご存知でしたか?」
「私も江戸へ遊学していた時期がありまして、和田倉門内の上屋敷の道場にも通っておりました。お目にかかったことはありませんでしたが、向かいの長屋にお住まいの中野さまの美人姉妹のうわさは耳にしておりましたよ。
“ 会津名物 業平式部 小町はだしの中野の娘 ”
ーーーそう歌われるほどの器量良しだと。
なるほど……うわさに違わず、お美しい」
「まあ」
臆面もなく言われて、優子さんの目が丸くなる。でもすぐに悲しい笑みを浮かべた。
「お恥ずかしい限りですわ。ですが、姉はもっと美しい方でございましたよ」
「竹子どののことは残念でした。ですが 優子どの。あなたが代わりに死んだほうがよかったと思うのは間違いです。
私はあなたに救われた。それはまぎれもない事実なのですから」
山浦さまが告げる真摯な言葉に、なぜか優子さんはふふっと笑う。
「わたくしでもお役に立てたなら嬉しいです。それに先ほどの山浦さまのご様子を拝見して、わたくしも間違いに気づきました」
山浦さまも目を丸くする。
「や、これは参りましたな……」
一本取られたとばかりに苦笑いを見せる山浦さまと、優子さんのあいだに和やかな空気が漂う。
「山浦さま。生きていれば、このように誰かのお役に立てることがあるのです。
ですからどうか、死に急ぐような真似だけはなさらないでください」
やわらかく微笑む優子さんを見つめて、山浦さまは観念したように目を細めた。
「負けました……あなたには」
山浦さまの口元に笑みが浮かぶ。悲しみで荒んだ心を、優子さんが和らげてくれた。
よかった。
ホッとして、全身の力が抜けた。
※愁嘆……なげき悲しむこと。
※「会津名物業平式部小町はだしの中野の娘」……会津藩の名物は、“ 業平式部 ”といわれる美男の鈴木式部と容姿端麗な中野家の姉妹だ、という意味。文久年間(1861〜1864年)には、すでに江戸詰めの藩士とその家族のあいだで歌われていたらしい。(中村彰彦著「会津のこころ」より引用)
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