この空を羽ばたく鳥のように。
本丸の帯曲輪の土手沿いを歩く。櫓の脇を通り抜け、走長屋と塩蔵の陰まで来て源太は足を止めた。
「ここなら人に聞かれることはないでしょう」
そう言って、背を向けたまま辺りを見回す。
櫓には藩士が常駐しており、走長屋の向こうの鉄門はご老公さまのご座所となっていて慌ただしく行き来もあるが、蔵の陰に佇む私達など誰も目に留めたりしないだろう。
今のところ砲撃も逸れているから、爆音で声が掻き消される心配もない。
しかしいつ何が起こるかわからない。
話は手早く済ませないと。
胸に手を当て、息を深く吸った。そして、
一番聞きたかったことを、真っ先に切り出す。
「源太……どうして私の前から姿を消したの?あの晩のことを父上に報せたから……?だから父上に私と会うことを禁じられたの?」
源太が私を避けてるとは思いたくなかった。
だから そう問いかけたのに。
源太は表情を変えなかった。
砲撃が続く三の丸の空をうかがいながら、静かに答えただけだった。
「……あの晩のことは、旦那さまにお伝えしておりませぬ」
「え」と、予想とは違う返答に戸惑う。
「報せてない……?なら尚更よ、どうして」
父上に報せていないのであれば、あの晩のことはお互いの胸に秘めて、今まで通りにしていればよかったのに。
あの晩、確かにお互いの気持ちは同じだった。
『このぬくもりは忘れない』。
それはこの先寄り添うことのない、私と源太のほんの一瞬の心の重なり。
この絆は 強くなるはずだった。
それなのに。
源太は手のひら返すように姿を消した。
突然の行動に戸惑い、どうしていいのかわからない。
気持ちをまなざしに込めて見つめるけど、源太は先ほどから変えない厳しい横顔のまま、空を見つめて口を開いた。
「あの晩のことは話しておりませぬが、旦那さまには私の胸の内を正直にお伝えしました」
「胸の内……?」
「はい」
うなずいて、源太はこちらを向くと、まっすぐ私を見る。
「私は奉公人の身でありながら、さよりお嬢さまにひとかたならぬ想いを抱いておりますーーーと」
「……!」
源太の表情はまったく変わらない。
想いを伝えているのに、恥じらう様子もない。
私のほうがうろたえた。源太の気持ちを薄うす感じてはいたけれど、こう面と向かって言われると戸惑ってしまう。
それに、気にかかることは。
「ち、父上は、なんて……?」
仕える奉公人からそんなことを告げられて、
父上は憤慨したのではないかと恐ろしくなる。
けれども源太の返答は意外なものだった。
「旦那さまは険しいお顔をなさっておりましたが、私は邪な想いを抱えたまま、お嬢さまやご家族の方がたのお世話はできぬこと、その上で旦那さまのおそばでお仕えしたい旨をお頼みしました。
旦那さまはご立腹なさることも、私を放逐することもせず、ただひと言、“それでよい” と仰せでした」
まさかあの父上が……にわかには信じられない。
けれど もしかして、父上も以前から源太の気持ちを察しておられたのかもしれない。
そして父上なりの配慮を示してくださったのかもしれなかった。
「けれど母上やみどり姉さまは源太に戻ってきてほしいはずよ。やっぱり九八では細部まで行き届かないもの。源太なら解るのにって思うこともたびたびあると思うわ」
それなのにーーーー。
源太が家族の世話から退いたのは私のせいだ。
「私が近くにいると、仕事の妨げになるのね」
「そうではございません。すべては私が未熟ゆえの不始末。申し訳なく存じます」
寂しさからつぶやいた言葉を源太がすぐさま打ち消し、目を伏せて詫びる。
「あえて胸の内を明かしたのも……旦那さまの監視下にわが身を置くためです。今の私は……ともすれば何をしでかすか分かりませぬゆえ」
……なんで?意味が解らない。
「どうしてそこまで自分を追い込むの?もうそばにいてくれないの?守るって、言ってくれたじゃない」
納得できなくて言い募ると、一瞬だけ、源太は苦衷に顔を歪めた。
「私もそのつもりでございました。ですがそれは出来ないことだと悟りました」
「どうして……」
源太は再び厳しい顔に戻って私を見つめる。
「私の想いは、言わば諸刃の剣です。
お嬢さまのおそばに控えるならば、いつ如何なる時もお守りする所存です。この身を捨てて、お嬢さまの盾となる覚悟はできております。
ですがその一方で、あの晩のように再び心が乱れることあらば、お嬢さまに危害を及ぼしかねませぬ」
「き、危害って……どんな」
「さすれば今度こそーーーー何もかも捨てて、お嬢さまを連れ去ります」
衝撃的な発言に、言葉を失う。
まさか源太が、そんなことするはず……ない。
※ひとかたならぬ……ふつうでない程度。
※放逐……その場所や組織から追い払うこと。追放。
※諸刃の剣……両辺に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、自分をも傷つける恐れのあることから、一方では非常に役に立つが、他方では大きな害を与える危険もあるもののたとえ。
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