この空を羽ばたく鳥のように。
目を瞠る。そんな私を見つめて源太は問うた。
「もしさような事になりましたならば、お嬢さまは私について来ていただけますか」
「……やめて!私はここを離れないし、源太もそんなこと決してしないわ!」
思わず声を荒らげていた。
考えたくない。忠義に厚い源太が、正しい行いを通してきた源太が、父上や家族を裏切るような真似をするなんて。
ありえないーーーそう思う反面、心の中は乱れていた。
あの晩、それほどまでに激しい感情が、源太の胸に沸きあがっていたなんて。
抱きあった時の源太の腕の力強さや体温を思い出して、恥ずかしくて身体中が熱を持つ。
あの時、白鳥が鳴かなかったら。
土津さまの制止がなかったら。
私達はーーーー。
今更ながら、とんでもないことをしていたのだと後悔が襲う。
「そう……でしょうね。そう返されることは、はじめから承知しておりました。
かような事をいたせば、お嬢さまが不幸になられるのは目に見えております」
そう言って、源太はかすかに自嘲した。
寂しさを漂わせる姿に、ズキンと胸が痛む。
「私自身、あのおり初めて、激しい情念が己の内にあることに気づきました。
次に心を乱せば、お嬢さまにどんな所業をいたすか分かりませぬ。
さような危険な者をそばに置くべきではないのです」
なんて応えればいいのか分からない。
「大丈夫、源太はそんなことしないよ」って、さっきまでなら言えたのに。
以前 彼に抱いた怖さを 再び感じる自分がいる。
源太はうつむき、瞳を曇らせた。
「私とて、旦那さまはじめ津川家の皆さまに、そのような仇なす真似はいたしたくございません。
ですからしばらく己の心が落ち着くまで、お嬢さまのおそばを離れたいと存じます」
仕方ないことなのだと、その瞳が伝えている。
これ以上踏み込めない。踏み込んだら、それでも源太を求めたら、彼がどんな愚挙にでるか分からない。
その危険性を 源太は示唆しているんだ。
「しばらくって……いつまで?」
訊ねるけど、源太は答えない。
彼自身も分からないのかもしれない。
源太は私に視線を向けると、声に力を込めて言った。
「お嬢さま、強くおなりなさい」
「……!」
「ひとりでも立っていられるように、強くなるのです。
さすれば私も安心してお勤めに励むことができます」
「源太……」
もし私が、ひとりで立っていられなくなるほど心折れたならば、源太はすぐさま駆けつけて、私を慰めるために抱きしめてくれるだろう。
そのぬくもりを求めてしまったら、もう引き返せない。
男女の情に溺れてしまう。
それは、津川家の体面を傷つけ、源太の身をも滅ぼしてしまう行為。
そんなこと、決してさせてはならない。
「……わかった。私、強くなるから。源太が安心してお勤めに励めるよう、強くなるから」
拳を握りしめる。
もう源太を頼ってはいけない。
心は寂しい。今でも源太の腕の中に飛び込みたい気持ちはある。甘えたい気持ちもある。
けれどそれを面にだしてはいけない。
源太を勘違いさせてしまうから。
「……ご立派でございます。こちらのことはご心配なされませぬよう。もう九八を遣わす必要もございませぬ」
源太はかすかに目を細めたあと、一礼して背を向け、本丸のほうへ歩き出した。
立ち去ってゆくその背中を見つめて、涙が溢れ出る。
源太はずっと厳しい表情をしていた。
自分の心を抑えるために。
きっと私に会いたくなかったに違いない。
会えば 心を乱してしまうから。
「……っ、ふ」
こらえきれず嗚咽が漏れて、しゃがみ込んで顔を覆う。
どうしてこんな事になったんだろう。
小さい頃からずっとそばにいて、家族とも兄とも思っていたのに。
源太は立派な大人だ。だからなのか、立場を弁えている反面、感情が高まると男女の交わりを求めるところがある。
それが顕著に出てしまうのは、いつ死ぬか分からない極限状態に身を置いてるがゆえの、男の本能なのか。
もう 昔とは違う。
幼い頃のまま頼って甘えている私とは違い、
源太はひとりの女子として私を見ている。
そりゃ私だって、十八歳の一人前の女だ。
殿方を迎え入れ、子を生せる身体に熟してる。
源太は 私にとって大事な人。
その気持ちに何ら変わりはない。
けれど喜代美以外の男にその対象で見られ、大人としての濃密な男女の情交を受け入れろと言われたら、どうすればいいのか分からない。
私はまだーーー受け入れる覚悟ができてない。
止まらない涙を拭いながら、心の中で何度も詫びた。
ーーーーごめん。ごめんね、源太。
私はただーーー源太にそばにいて支えてもらい、励まして欲しかっただけなの。
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