この空を羽ばたく鳥のように。




涙を完全に乾かしてから長局に戻った。
泣き腫らした顔で戻ると、その姿を見た母上やみどり姉さまに何を問われるかわからない。

平常心を(よそお)って何気ない顔を意識しつつ中庭へ入ると、九八も戻っていて縁側の脇で器用に杣木を細かくする作業をしていた。

九八は私に気づくと、のんびりした口調で声をかける。



「おや、さよりお嬢さま。ずいぶんと遅いお戻りで。だいぶ油を売られてましたねぇ。西出丸の皆さまとお話がはずみでもしましたかぁ?」



緊張感がまるでない緩みきった九八の口調に、あきれるやら気持ちがほぐれるやら。けれど、気落ちしていた心が少しだけ軽くなった。

部屋へ視線を転じる。そこには母上が臥しているお祖母さまのそばに寄り添う姿が見えた。
みどり姉さまとえつ子さまのお姿は見えない。お勤めに出ているようだ。

ため息をついてから、九八の言葉に応じた。



「そうね、だいぶ時を費やしちゃった。早く仕事に戻らないと」


「そうですよ、早くお勤めに戻らないと皆さまに叱られますよ」



叱られることを期待してか、ヒヒヒと笑う九八の生意気な態度を見ても、今の私には腹立つ気力も起こらない。



「そうね……」



流すようにつぶやくと、また怒鳴られると思っていた九八が肩透かしを食ったように目を丸くした。



「どうしたんで?」

「別に。……ねぇ九八。もう源太の様子は見に行かなくていいわ」



「え」と、九八はさらに驚いた。
作業の手を止め、慌てて立ち上がる。



「藪から棒になんです、何かあったんで?あれだけ源太さまのことが気がかりでしたのに」



理由を問われるとどう言っていいのか悩む。
言葉を選びながら訳を話した。



「実は……今しがた源太と西出丸で会ったの。それで直に源太の状況を聞くことができて……。
九八の言う通り、何も心配ないようだったわ。
だからもう必要ないかな、なんて」


「ほらぁ、だからわしの言った通りだったじゃねぇですかぁ!」

「そうね、疑って悪かったわ」

「……⁉︎ 」



素直に謝る私を見つめて、九八が訝しげに眉をひそめる。いくら鈍い九八でも、私の様子がおかしいことに気づいたようだ。

九八は納得できないのか不服そうに鼻腔を膨らませた。



「じゃあ本当に、源太さまのところには行かなくていいんで?」

「ええ、源太もそう伝えてくれって」

「源太さままで?……そうですか」



残念そうな表情だった。せっかく懐いていたのに、私の都合で引き離すのもかわいそうかなと思い、言葉を添えた。



「けど九八が源太のところへ行きたいなら、手が空いた時に会いに行っても構わないわ。
ただし、仕事に差し支えない程度にね」


「いいんで?もちろんですとも!」



九八は嬉しげに顔を輝かせる。
その様子を見て思う。



(―――九八が、羨ましい)



会いたい時に、会いに行ける。
会いに行けば、源太に受け入れてもらえる。



(けれど、私は―――)



源太の姿が思い浮かぶ。

全身に、人を―――いいえ私を、寄せつけない厳しさを(まと)っていた。

今まで私が接してきた源太とは、まるで別人のようだった。



私だって源太の助けになりたいのに。

私にとって源太がそうであったように、励みになり、心を支える存在でありたかったのに。

源太の心が私にあると言えど、今の私は彼にとって心惑わす災いでしかない。



(私が会いに行っても、源太には迷惑なだけ)



それが 悲しい。



「九八、源太を助けてやってね。じゃあ私は、お勤めに戻るから」



さりげなく言い置いて、中庭を出ていく。
九八は何か言いたそうなまなざしをこちらに向けていた。










杣木(そまぎ)……ここでの意は燃料などにする雑木。たきぎ。

(あぶら)()る……仕事の最中に人目を盗んで怠けること。また無駄話をして時間を過ごすこと。

肩透(かたす)かしを()う……勢いをそらされ、無駄に終わる。

(やぶ)から(ぼう)……突然に物事を行うさま。だしぬけ。唐突。


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