この空を羽ばたく鳥のように。



悄然としたまま大書院へ戻る。そこは創傷や病で呻吟する者であふれている。たすきを掛け直すことで気持ちを入れ直し、その中へ入っていった。



凌霜隊の医師である小野さまがおっしゃったとおり、食糧難や不衛生さがたたって、女子供からも病気になる者が続出した。


子供達には顔やまぶたが腫れ上がる症状が出た。
これは精米されてない、(ぬか)のついた黒米(玄米)の食べ過ぎによるものとのことだった。
黒米ばかりの食事が続き、お腹を壊してしまう者もあった。

けれどその糠くさい黒米さえ少なくなり、黒米を兵士の食糧として残すため、女子供は蔵に残っていたいつのものとも知れない道明寺粉や、乾燥して保存されてあった田螺(たにし)などを食すようになっていた。

道明寺粉はもち米を蒸して乾燥させ粉末にしたもので、お湯を注いで柔らかくして食べる。しかし古かったため虫がわいており、お湯を注ぐと浮かんでくる虫をつまんで取り除いてから食べる始末だった。気味が悪いなんて言ってられなかった。


大勢の人達が逼迫する食糧難で栄養不良に陥った。


チフスなどの熱病も流行った。城内に(こも)る人々は、外からの攻撃だけでなく内からの空腹や病気などにも苦められた。


そんな状況に心を痛めながら、自分もいつ怪我や病に罹り、看病される側にまわってしまうかと不安が覆う。





「さよりさん、顔色がすぐれないようだが」



負傷者の包帯を取り替えていたとき、近くで養生していた山浦さまからふと声をかけられた。

顔を向けると、横になった山浦さまがこちらを見上げている。山浦さまはまだ起き上れる状態ではなかった。



「今日はもう下がって休んだほうがいいんじゃないか」

「そんなに疲れているように見えますか」



苦笑して言うと、看病をひと段落つけて戻ってきた優子さんと山浦さまが顔を見交わし、ふたりそろって心配そうなまなざしを向ける。



「山浦さまのおっしゃる通りですよ、さよりさん。夜も看護があるのでしょう。少しお休みになってはいかが」



優子さんも言ってくれるけど、静かに首を横に振る。
ふたりの勧めをかたくなに拒む私に山浦さまが嘆息した。



「さよりさん、源太がここにいたらあなたの身を案じ、同じことを申したろう。津川さまの仰せとはいえ、源太もさよりさんのそばを離れたくなかっただろうに」


「いいえ。そんなはずはございません」



否定して、また首を振る。
私のそばを離れたのは源太の意思だ。



「源太は実直です。命を受ければ、どのような勤めも真面目に当たるはずです」



私が言うと山浦さまは笑った。



「それはそうだろうが、なんだ気づいてないのか。源太の気持ちに」



ズキンと胸に痛みが走る。
源太から想いを打ち明けられたことは言えなかった。



「……山浦さまは、源太の心がお分かりになるのですか」



素知らぬふりをして問い返す。
山浦さまは含み笑いしてさらりとおっしゃった。



「分かるさ。源太の目を見ればな」


「わたくしも……源太さんはさよりさんを大切に思っておられると感じておりました。
もちろん主家のご息女ですから当然のことでしょうけど……あるいは特別な想いがあるのではないかと」



山浦さまの言葉に優子さんも口を添える。
目を伏せるしかなかった。
源太は誰が見ても、本当に私を大事に想ってくれていた。



「そうだとしても……私にはどうすることもできません」



私には喜代美がいる。一生を添い遂げるなら喜代美以外考えられない。
源太の想いはありがたく、かけがえのない人に違いないが、それ以上は父上が許すはずもなく、私も考えられなかった。

そんな私の心を(おもんぱか)ったのか、優子さんが慰めるように言う。



「お気持ち、お察ししますわ。源太さんは良い殿方ですが家士ですもの。とても縁づけるものではございません」


「ほう。優子どのはそう思われるか」



山浦さまがうかがうと優子さんはうなずく。



「もちろんですわ。かりにお互いが思い合う仲でございましょうとも、父君がお許しになるはずがございませんもの」


「身分の壁か」



山浦さまはつぶやいて天井を見つめた。



「それならば四男坊の微禄でしかない俺も同じだな。嫁を迎えるなど夢のまた夢だ」



自嘲を漏らす山浦さまに優子さんは驚いて口元に手を当てた。



「申し訳ございません。わたくし、そんなつもりでは……」


「いや、よいのだ。しかし考えてみれば、二百六十年続いた徳川の世が終わり、今や薩摩や長州の陪臣どもが主君を差し置き我が物顔で王師を率いているのだ。いずれ身分の隔たりも消えるかもしれん」



尊王攘夷や討幕思想を謳っていた志士とやらは、諸藩の下級藩士が多かったと聞く。今、天皇の軍を率いているのは、志士として活躍していた者だろうか。だとしたら諸外国の脅威から日本を守るためと言っていながら、その実は単なる権力を握りたいがための下克上なのではないか。



山浦さまのおっしゃることがどんな未来につながるのか。時代の流れに置き去りにされ、滅びゆきつつある私達には関係ないように思えて想像ができなかった。


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