この空を羽ばたく鳥のように。
――――うそ。
だって、ゆうべはあんなに体調が良さそうで。
きっと快方に向かっているんだと安堵したのに。
休んだはずなのに重たい身体を起こしてお祖母さまに近づく。その傍らに座る。
床に着いてから身動きしないままに亡くなられたのか、ゆうべ整えた髷はくずれずきれいなまま。
どんな時でも、たとえ命が消える間際でも、身だしなみだけは怠ってはならない―――そう教え諭してくださった、お祖母さまらしい最期。
震える両手でお祖母さまの御手に触れる。
――――冷たい。ゆうべ櫛を手渡してくださった時は、たしかに温かかったのに。
「そんな……お祖母さま……」
つぶやくと涙がこぼれ落ちた。
ゆうべ落ち込んでいた私を、あたたかな微笑とお言葉で元気づけてくださった。
私を頼りにしてるとおっしゃってくださった。
最後に言葉を交わしたのは、私なのに。
お祖母さまの異変に気づきもしなかった。
今考えたら、ゆうべのお祖母さまはいつもと違っていた。
とても起き上がれるようなお身体ではなかったはずなのに、起きて背筋をしゃんと伸ばし、私の髪を整えてくださる時は膝立ちにもなった。
その張りのある動きに、きっとこれから良くなってゆくのだと信じて疑わなかった。
どうして 私は――――その奇跡に気づくことができなかったのか。
握った御手に頬を寄せる。お祖母さま、と何度も呼びかける。
けれどお祖母さまから反応はなく、虚しさだけが悲しみの上にのしかかった。
ああ―――喜代美。
ごめんなさい。私、あなたの大切な家族を守れなかった。
私はなす術もなく、こぼれゆく大切な命を掬うことができなかった――――。
一時(2時間)ほど過ぎたころ、父上が弔問のため姿を現した。源太と九八、それに助四郎を伴っての訪いだった。
父上は部屋へあがり、源太達三人は縁側に控える。
源太が縁側に座したとき、ちらりと目が合った。
源太は昨日と変わらない厳しい表情だったけど、報せを受けて亡くなられたお祖母さまや母上達の前に出るためか、今日はきちんと顔を洗って髷を整え、髭も当たっていた。
母上達から見れば、痩せてはいるが何の変わりもない源太の姿だった。
けれど私は昨日の今日ということもあり、お祖母さまのこともあって、源太からすぐに顔をそらした。
同室の方がたからのお悔やみの言葉をいただきながら、こちらでは出来うる限りお祖母さまのお身体を拭き清め、衣服を整え、布団へ寝かせて準備をしていた。
そのあいだ、私はずっと泣いていた。
父上や源太に泣き腫らした顔を見られたくなくて、隅のほうに座って隠すようにうつむいた。
皆が見守るなか、父上がお祖母さまの前に座り、手を合わせる。それに合わせて源太達三人も手を合わせて深く瞑目した。
父上は口の中で経文を唱えたあと、えつ子さまにお悔やみの言葉を述べた。
父上の弔問が済むと、母上が源太に声をかけた。
「源太。久方ぶりに顔を見れて安堵いたしました」
「は……」
源太は身を正すと、えつ子さまや母上、みどり姉さまに対し、突然姿を消したことを謝罪して深く頭を下げた。
「奥さま、皆さま。挨拶もなく皆さまのお世話を離れたこと、まことにあいすみませぬ。此度の非礼、深くお詫びいたします」
「いいえ、わたくしどもより旦那さまに尽くすことこそ大事です。ですから少しも気にしておりませんよ。
それなのにこちらまで何かと気遣い、衣食を届けてくれて感謝してます」
母上がおっしゃると、源太は目を伏せたまま続けた。
「滅相もございませぬ。お刀自さまのこと、衷心よりお悔やみ申し上げます。私がここに留まり、お世話を続けていたならば今際の際に立ち会えたかもしれぬと思うと、残念でなりませぬ」
「あなたはきちんと勤めを果たしているだけです。今まで義母がたいへん世話になりました。礼を申します」
えつ子さまのお言葉に、源太は一段と深く頭を下げた。
それから顔をあげると彼は言った。
「えつ子さま。お刀自さまは 私どもにお任せください。九八と助四郎に申し付け、鎧櫃を用意いたしました。
この中にお刀自さまを移し、二の丸の梨園に懇ろに埋葬いたしたいと存じます」
「えつ子どの。この源太に任せておけば万事安心じゃて、おばばさまのことは心安うおられよ」
源太の申し出に、父上の後押しもあって、えつ子さまはまだ潤む目を細めてうなずいた。
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