この空を羽ばたく鳥のように。





――――額にひやりとしたものが触れて、ゆっくりとまぶたを開ける。



部屋で私は寝かされていた。障子から漏れる陽光がまぶしい。


額に乗っていたのは、優しい手。


その手の主を視線で追うと、障子を背に私の横に座る、愛しい人の顔が映って目を瞠った。



「―――喜代美……!」



待ちわびた再会に、起き上がって抱きつきたかった。
でも何故か、身体が鉛のように重く動かない。

まるで金縛りにあったように、意識はあるのに身体が動いてくれない。



喜代美は黙ったまま柔らかく微笑んだ。



とたんに私の目からブワッと涙があふれだす。
嬉し涙に、泣きながらも微笑み返した。



「喜代美……帰ったのね。会いたかった……!」



喜代美は何も言わない。ただ、額に当てた手をずらし、優しく頭を撫でてくれる。


抱きつきたいのに身体が動かないなら、せめて手を伸ばして触れたいのに、その手さえ動かない。

言葉は話せるし、涙も出てくるのに。



なら、せめて言わなきゃ、と思った。許してくれるかどうか分からないけど、とにかく正直に話しておきたかった。



お祖母さまが亡くなられてしまったこと。
……一瞬でも源太に身を委ね、喜代美を裏切ってしまったこと。




「喜代美……私、あなたに謝らなきゃならないことが―――」



言い終わらぬうちに、喜代美は静かに首を横に振る。



「……知ってたの?」と訊くと、目元を悲しく細めてうなずく。



「……ごめんね。私……本当にごめんなさい」



一番大切な喜代美を傷つけて。失望させて。


とめどなく流れる涙ながらに謝ると、喜代美は顔を歪めて何度も何度も首を横に振った。



「……いいえ。私のほうこそ――――」

















コオ――ッ、コオ――ッ。



………白鳥の鳴き声が聞こえる。

その声が悲痛な叫びのように感じるのは、
私の心を重ねて聞いてるからだろうか。





















ドオォン!と大きな爆発と揺れで目が覚めた。
絶え間ない大砲や小銃の発砲音がはっきり聞こえる。



「あっ……、さより!気がついた?」



みどり姉さまが目を覚ました私の顔を、緊張感を漂わせつつホッとした表情で覗き込む。



「みどり姉さま……私はいったい……?」


「お祖母さまをお見送りしたあと、気を失って倒れたの。源太が凌霜隊の小野さまを連れてきて診てもらったけど、栄養不足で血が足りてないのだそうよ。もっと滋養のつくものを食べなさいって」


「栄養不足……。あの、姉さまがずっとついててくださったのですか?……喜代美は?」


「え?」



視線を巡らせてまわりを見渡す。薄縁(うすべり)に寝かされた私のそばには、みどり姉さま以外の家族はいない。
喜代美の姿がないことに、いっきに気が落ち込む。



「あ……いえ、何でもございません……」


「……?先ほどまでずっと源太がついててくれたのよ。
気分が良くなったら、後で礼を申してらっしゃい」


「源太が……」



喜代美じゃなかったんだ……じゃあさっきのは 夢?
私の額に手を乗せてくれたのは、喜代美じゃなく源太だったの?



悲しくなった。
夢でなければ喜代美に会えないのが悲しかった。



障子のほうに目を向けると、もう西陽が差している。
一日の終わりが近づいていることにあわてて起き上がった。いきなり動いたせいか、めまいがする。



「ダメよさより、まだ起き上がっちゃ!」

「ですが、お勤めが……」

「そんな身体で⁉︎ 無理よ、今日は寝てなさい!」



みどり姉さまにきつく言われ、また寝かされる。

仕方ない。自分で考えるよりも身体はだいぶ弱っているようだ。

素直に横になる私に、みどり姉さまは周囲を(はばか)るようなそぶりで口を開いた。



「ねえ……さより。お前もしかして……身籠(みごも)っているんじゃないの?喜代美さんの子を」

「え……っ⁉︎」



唐突に言われた言葉に顔が赤くなる。



「ど……どうして、そんな……!」



気が動転して一度横にした身体をあわてて起こし、反射的に聞き返すと、みどり姉さまは「やっぱり」とばかりに目を瞠った。



「ひと月ほど前、お前、喜代美さんと夜を共にした日があったでしょう。お前の体調がすぐれないのは、もしかしてそのせいではないかと思ってね」


「あ……」



―――――そうだった。


喜代美と過ごしたあの夜を、みどり姉さまだけはご存知だった。



「身体を大事にしないと。喜代美さんのためにも元気な子を産んでもらわなきゃ」


嬉しさで励ますようにおっしゃるみどり姉さまの笑顔を見つめながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。



「申し訳ございません……!」



姿勢を正して目が回るのもかまわず手をつかえて頭を下げると、みどり姉さまが驚いた。



「ちょっと、さより、どうしたの?」

「私は、身籠ってなどおりません……!」

「えっ……⁉︎」



今さらながら後悔が押し寄せて、涙がこぼれた。
自分の無力さを悔いた。





「喜代美は……喜代美はあの晩、私を妻にしてくれませんでした。ですから私が、喜代美の子を宿すはずがないのです」




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