この空を羽ばたく鳥のように。
翌十二日の昼間。まだめまいがひどく、今日も休んでいた私に九八が卵粥を作って持ってきてくれた。
「えっ……私に?」
「もちろんでさぁ!お嬢さまにはたくさん食べてもらって早く元気になってもらわんと!
弱ってるお嬢さまなんて、らしくありませんや!」
「でも……」
そばで付き添ってくれていた母上に助けてもらい、上体を起こす。
九八が明るく笑って鍋からお椀によそってくれる卵粥は白米と葱が入っている。この戦の最中では、これ以上ないくらいの贅沢な食事だ。
けれど、お椀一杯分と鍋にわずかに残るくらいの量しかないのを見て、申し訳なく思い受け取ることは憚られた。
「私はいいわ。それより母上に食べていただいたほうが……」
「いや!これはさよりお嬢さまに食べていただくためにお作りしたもんです!」
きっぱり断言する九八のお腹がグウと鳴る。
九八は顔を赤らめ、恥ずかしそうに笑ってごまかした。
そうよね。お腹を空かせてるのは、みんな同じ。
誰だってこんなごちそう、食べたいに決まってる。
「九八……」
「とにかく!こいつぁ、さよりお嬢さまが食べてくだせえ!なんせ源太さまがお嬢さまのために駆けずり回ってご用意したモンなんですから!」
「源太が……?」
驚いて母上に顔を向ける。母上はうなずいて、
「私に気兼ねせずお前が食しなさい。源太や九八の思いを無にしてはなりません。しっかり食べて、早く勤めに戻れるよう養生するのですよ」
「そうですよ、それでこそ源太さまがご用意した甲斐があるってもんです!」
ふたりに熱心に勧められ、九八から差し出されたお椀を受け取る。温かい湯気とみんなの気持ちに胸が詰まる。
ポロリと涙がこぼれた。
子を宿していない私が滋養を取っても、意味のないように思える。せっかくの卵粥を無駄にしてるようでもったいない気さえする。
いったいこんな私に、何ができるだろう?
これだけ心を砕いてくれる人達に何が返せるだろう?
「元気になりゃ、それでいいんですって!
源太さまもそれを一番望んでますよ!」
「……いただきます」
九八の言葉に突き動かされて、頭を下げると箸を手に取る。美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、涙を拭ってお椀に口をつけた。温かな粥が空腹に染みて、ゆっくり味わいながら食す。
「ありがとう……九八。とっても美味しいわ」
お礼を言って微笑むと、九八は照れくさそうに指で鼻をこすった。
「もっと食べてくだせえ!まだ鍋に残ってますで!」
「いいえ、もう充分よ。残りは他の誰かに……」
その “他の誰か”を言いあぐねる私のとなりで、察したように母上が柔らかくおっしゃった。
「九八、お前が食べなさい」
「……わしがですか⁉︎ 」
九八がすっとんきょうな声をあげて、自分を指差す。
「ええ。昨日もお祖母さまのお弔いに尽力してくれたでしょう。わたくし達家族にも、源太の代わりによく尽くしてくれてるし、感謝しているのよ」
「お、奥さま……」
「働き盛りだから、お腹が空いているでしょう。
九八もここで食べておしまいなさい」
母上のお言葉を素直に受けていいのか分からず、九八は困惑して私をうかがう。それに微笑してうなずいた。
「母上も仰せのことだし、一緒に食べましょう」
「いいので?……ありがたく頂戴しやす!」
パッと顔を輝かせ、九八は鍋に残った卵粥を食べる。
私と母上は顔を見合わせて笑みをこぼした。
「そういやあ、凌霜隊の皆さまからも見舞いとして牛蒡と大根を頂戴したんですよ。夕餉はそれで汁でもこさえやしょう」
鍋の卵粥をあっという間にたいらげた九八の言葉に驚いて聞き返す。
「凌霜隊の皆さまが?」
「はい。良うなりましたらお礼に伺ってくだせえ」
「そうね……わかった。あと、源太にもお礼を言いたいわ。悪いけど九八、あとで源太にこちらへ参るよう伝えてくれる?」
食べ終えたあと横になり、お椀と鍋を洗いに立ち上がった九八にそう声をかけると、彼は困ったような顔を向けた。
「それが……源太さまはおひとりでお城を出やした」
「え?ひとりで⁉︎ 」
「へえ。何でも、私用ができたとかで」
「私用?どんな?実家の家族に会いに行ったとか?」
源太が私用で動くのはめずらしい。不思議に思って問いを重ねるけど、九八は首をひねっていつもの歯切れの悪い口調で答える。
「はあ……わしもよう分かりませんが、旦那さまの許しを得て、しばらく留守にするそうです」
「しばらく⁉︎ ……って、いつまで⁉︎ 」
「さあ……?けんど、一両日のうちに戻ってくるんじゃねえですかね」
「……そう。じゃあ、源太が戻ったら報せてちょうだい」
九八は「へえ」と うなずくと、長局をあとにした。
※一両日……一日か二日。
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