この空を羽ばたく鳥のように。




挨拶をすませて仕事へ行ってからも、城内は総攻撃の噂で騒然としていた。

大書院の中でも、病や負傷して動けない者達が不安な顔を浮かべている。



「とうとう奴らも、カタをつけようと動き出すか」



山浦さまは床の中で嘲笑した。雪が降れば勝機が見出されると信じていたが、もうすぐひと月になろう籠城戦で援軍も期待できず補給もない状況ではどうしようもない。

相手だって馬鹿じゃない。冬到来の前に武器も兵士も全投入で決着をつけるつもりだ。城内に侵入されたら、中にいる者達は皆殺しにされるだろう。



「せめて動けない方がたを郊外へ運ぶ算段を、軍事局がつけてくださればよいのですが……」



山浦さまを見つめて優子さんが表情を暗くする。
山浦さまは依然として起き上がれない。食事は何とか用意することはできても、薬もなく、ほとんど自身の回復力に賭けるしかない状態だ。


敵も情けがあるならば、せめて総攻撃をかける前に非戦闘員を城外へ逃す通達と時間の猶予を与えてくれたらいいのに。

心配する私達の顔をご覧になりながら、山浦さまは何でもない様子でおっしゃった。



「いや、城を枕に討死するは武士の本望。ここまでくれば城と命運を共にするしかあるまい」



山浦さまのお顔はあきらめを口にしているというより、それがごく自然なことであるように受け止めている。



「それを申すのでしたら、わたくし達も同じです。共に命運に従います」



優子さんがしっかりとした口調で言い、微笑んだ。
山浦さまの武士としての姿勢に力を得たような安堵感が湧いていた。








陽が暮れて長局に戻る。母上やえつ子さま、みどり姉さまも戻られていて、私達はこれから行われる総攻撃について話し合った。
九八のことも、もしかすると城を出てゆく可能性があることを伝えた。
咎める者はいなかった。誰もが生き延びる可能性があるなら九八に生き抜いてほしいと考えていた。



「ここまで来たら、運を天にまかせるほかありません。
皆それぞれに覚悟を定めましょう」



母上のお言葉に皆がうなずいた。もう覚悟はできていた。








夜も更けた頃、来客があった。
年は三十くらいの上背のある藩士で、えつ子さまに面差しが似ている。それもそのはずで、その方はえつ子さまのご実弟、有賀惣左衛門さまだった。



「近々総攻撃があるとの噂、もうお耳にされましたか」



えつ子さまと向かい合い、あぐらをかくと惣左衛門さまはお祖母さまのお悔やみを述べたあとにおっしゃった。
そろって皆でうなずくと、うなずき返して惣左衛門さまは続けた。



「敵の包囲を防ぐため、軍事局から各隊に防御を巡らせるよう命令が下されました。我が隊は明朝出陣いたします。それゆえ姉上にご挨拶に参りました」


「そうですか。訪ねてくださりありがとうございます。
わたくしも……惣左衛門どのにお伝えすべきことがございます。すでにご存知かもしれませぬが」



えつ子さまは暗い面持ちで、以前 河原あさ子さまからうかがったお話を惣左衛門さまに話して聞かせた。
それは―――ご妻女ひでさまと娘うらの最期。



如何なる感情も(おもて)に出さず、静かに耳を傾けて聞いていた惣左衛門さまはうなずいておっしゃった。



「ひでとうらのことは存じておりました」

「やはりそうでしたか……わたくしは惣左衛門どのに詫びなければなりません。あの日、何が何でも一緒に連れて参ればよかったのです。わたくしは悔いております。惣左衛門どのには申し訳ないことをいたしました」



苦渋の思いを伝えるえつ子さまを気遣うように惣左衛門さまは首を振る。



「いいえ。あれは立派に妻の勤めを果たしたのです。この場で死の間際を詳しくうかがえるとは思いもよりませんでした。これで思い残すことはございませぬ」


「惣左衛門どの。死に急いではなりません」



静かな姿が危ぶまれ、えつ子さまがおっしゃると、惣左衛門さまは微笑んだ。



「もとより命など惜しんではおりませぬ。今宵は姉上に最後のご挨拶に参ったのです。明日は心おきなく戦いに臨めます」


「惣左衛門どの……」


「皆さまのご無事をお祈り申し上げる」



深々と頭を下げると辞去の言葉を口にして、惣左衛門さまは去った。



惣左衛門さまはもう、生きて戻るつもりはないのだろう。
私達も、明日どうなるか分からない。


気がかりなことはたくさんある。


喜代美はどこでどうなっているのか。
源太は戻ってこられるだろうか。


答えが出ることもなく、さまざまな考えが頭をよぎる。



(……もう会えないかもしれない)



けれど―――迫りくる恐怖に負けてはならないんだ。










有賀惣左衛門(ありがそうざえもん)……青竜一番士中隊中隊頭。九月十四日 諏方社付近における大激戦で勇戦奮闘のすえ討死した。享年31歳。

妻子の亡くなった場所にいろいろな説があるため(本一之丁あるいは諏方社内とされている)、諏方社内に立て籠り戦った彼が戦死したのは妻子と同じ場所という説もある。

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