この空を羽ばたく鳥のように。
* 九月十四日〜総攻撃、開始 *
十四日の払暁、まだ暗いうちから父上が長局を訪れた。
後ろには源太と九八を従えている。
源太の姿を見れたことに、私は心の底から安堵した。
(よかった……無事に戻っていたのね)
父上は汚れてないきれいな着物と具足を身に纏い、月代も髭もきれいに剃り、髷を整え、立派な出で立ちだった。
きっと源太が事前に用意してくれたものだろう。
けれどその姿を見て、早いうちから起こされた家族のあいだで緊張が走る。
「だ、旦那さま……そのお姿、もしや……」
呻きにも似た母上の声に、父上はうなずいた。
「出陣じゃ。わしら伊予田玄武士中隊は、食糧の補給路を確保するため、命令が下された」
伊予田図書さまを隊長とする玄武隊は、齢五十〜六十歳の藩士をまとめた部隊。
父上は年齢を超えた六十三歳だが、失った兵の補填のためこの部隊に配属されていた。同じ部隊にはお八重さまのお父上の山本権八さまもおられる。
熾烈を極めた長命寺の戦い以降、お城の南側は比較的容易に出入りができていた。食糧の調達や城外へ出た家族の安否を訪ねる際も南側や西側の一部から出入りしていた。
けれど総攻撃ともなればそうもいかない。敵は城を完全に包囲するつもりだろう。そうなってしまえば城外で戦う兵との連絡も物資を運ぶこともできなくなる。
完全包囲だけは何としてでも阻止しなければ。軍事局も焦って手を打ったのだろう。
頼みである有賀惣左衛門さまが率いるような精鋭部隊は、みな敵の総攻撃に対抗すべく城外へ出陣することになっている。
おもに城内の守備を勤めていた玄武隊は、後備えの役割もあり人手不足もあって、物資の補給経路を確保する重要な任務に命令が出されたのはやむを得ないことだった。
総攻撃に備え、すべての者が決死の思いで事に当たらなければならない。
その時が刻々と近づいているのを感じて気持ちが暗くなった。
「それで源太も出陣するのね。……九八も?」
父上とは違い、擦り切れたボロボロの衣服に胴丸と鉢巻きを締めただけのふたりの姿を見ながら訊ねる。
源太は分かる。父上が出陣なさるなら付き従うのが家士の勤め。けれど九八は家士ではない。総攻撃の報せを受けててっきり村へ帰るのだと思っていたから、正直その姿に驚いていた。
源太が困惑顔で口を開く。
「九八には、城を出て村へ帰るよう申したのですが、どうしてもついて行くと言うことを聞きませぬ」
「放蕩者じゃったので、村へ帰っても邪魔者扱いされて居場所なぞございやせん。わしは源太さまの行くところにどこまでもついて行きやす!」
「馬鹿者、今度こそ死ぬぞ」
源太はそう言って表情を暗くする。九八のことを心の底から心配している。けれど九八はからりと笑った。
「なあに、源太さまに救っていただいた命です!源太さまのために使えるなら本望じゃ!」
はりきって答える様子に皆が驚いていると、父上が冗談めかしておっしゃった。
「さよう、九八はわしの従者ではない。源太に惚れこんでついて参ると申すのじゃ。つまりわしは、従者の従者まで引き連れて行かねばならぬということじゃ」
「まあ」
「源太さまの主人なら、わしにとっても主人だで、津川さまにも十分尽くさせていただきやす!」
「こいつめ、生意気に」
父上はそう申されたけれど、九八の性分をご存知なのか、怒ることなく苦笑されただけだった。
意気込む九八とは反対に、源太の表情はずっと沈んでいる。何か心に懸かるものがあるのだろうか。
「源太。どうかしたの?」
「いえ……何でもございませぬ」
声をかけると源太はうつむいた。私の顔も見ずに。
何でもないはずないのは誰が見ても分かる。
父上はその理由をご存知なのだろうか。
でも父上は素知らぬふりをしている。
総攻撃に向けて、守らなければならない主人やその家族、そして守ることのできない実家の家族のことなど、源太が抱える心配事や事情は私が思うより多いのかもしれない。
しばらく考えてから、あることを申し出た。
「父上。出立の時刻はじきでございますか」
「いや、まだじゃ。あと一時(2時間)はあるじゃろうて」
「でしたら、それまでふたりをお預かりしてもよろしゅうございますか。父上に従っての出陣ですから、それに恥ずかしくない身支度をさせとう存じます」
私の提案に、源太と九八が不思議そうに顔をあげる。
「え……?」
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