この空を羽ばたく鳥のように。
はっきり言って、今日ほど裁縫所に行きたくないと思ったことはない。
しかしたとえ休んだとしても、逃れられないことは十分承知している。
ならば行くしかあるまい。
意を決して、おたかを伴い裁縫所へと向かう。
「あ!さよりさま!! おはようございます!!」
案の定。高木さまのお屋敷へ着くなり、そう言って晴れ晴れとした顔で早苗さんは駆け寄ってきた。
「……おはよう」
身を引く。なんなんだ。このムダに花を振り撒く彼女の喜びは。
「昨日は喜代美さまをお帰しいただき、まことにありがとうございました!!」
(……いやいや。あなたのものじゃないし)
心の中で否定するも、もちろん面には出さない。
「だいぶ楽しかったようね」
「はい!! 凛々しく成長された喜代美さまに、皆さま驚かれておいででしたわ!!
ご母堂さまも涙ぐんでらっしゃって……喜代美さまから何もおうかがいしてません?」
「……何も」
私がぼそりと答えると、彼女の瞳がキラリと優越感に光る。
「あら!さよりさまは、喜代美さまとあまりお話しにならないのでしょうか?」
「……そうね」
「そうなのですか?せっかくご一緒にお暮らしですのに残念なこと!
私だったら いつもおそばについて、一日中楽しいお話をお聞かせできますわ!」
彼女はそれを想像してうっとり頬を染める。
(おいおい。そんなことしたら、さすがの喜代美も辟易するよ?)
それから彼女は、昨日の喜代美の様子を逐一事細かく延々と語ってくだされた。
あんまりうるさいから集中力が途切れて、私は指に三回も針を刺したほどだ。
(―――どうだっていい)
早苗さんの知ってる喜代美なんか興味ない。
私は私の知ってる喜代美だけでいい。
私が見たゆうべの喜代美は、胸が苦しくなるくらい優しくて。
真剣な表情が怖くて。
包んでくれた大きな手が熱くて。
少年らしい笑い声をあげ、そして潤んだ瞳で満足そうに微笑んでいた。
おかげで私の心臓は、一晩でかなり疲弊したんだから。
彼女の語るどれを取っても、それより驚いたものなんてない。
あんたの知ってる喜代美なんか、たいしたことない。
※辟易……どうにもならなくて閉口すること。嫌気がさすこと。
※疲弊……心身が疲れて弱ること。
.