この空を羽ばたく鳥のように。
「たっ、たつ子さま!お話はお済みでしょうか⁉︎ 」
母上は駆け込んできて座るなりおっしゃった。
その様子はひどく狼狽している。一緒に戻ってきた助四郎も複雑な顔で後ろに正座する。
たつ子さまは母上に向き直ると落ち着いた様子で答えた。
「はい。すべてではございませんが、だいたいは」
「で、では、うかがってもよろしゅうございますか?
ご老公さまが、ついに降伏をご決断なされたというのは、まことでございましょうや⁉︎ 」
(えっ⁉︎ )
「まことでございます。照姫さまはさように仰せられました」
たつ子さまの返答に「ああ……!」と母上は呻く。
身体からへなへなと力が抜けてゆくようだった。
たつ子さまは感情の起伏も見せずに説明した。
「わが軍は補給の拠点としていた高田本営を攻められて、外部からの経路を完全に断たれたそうです」
高田とは会津城下に近い高田村(現:大沼郡会津美里町)のことで、伊佐須美神社や会津でただひとつの三重塔を持つ法用寺などの神社仏閣や宿屋も多くあるところだった。
長命寺の戦い以後、城外で戦い続けた佐川官兵衛さまを含む会津軍は、その高田村に本営を置いて物資などの補給地としていた。しかし十八日に敵の大軍が攻め入り、瓦解した会津軍は散り散りになって大内村へと向かったらしい。
「つまりもうこの城に物資は届かないと……」
「はい。このままではとても持ち堪えることはできませぬ。それから」
たつ子さまはかすかに表情を曇らせ、まわりを憚るように声をひそめて続けた。
「どうやら仁和寺宮嘉彰親王が、錦旗を奉じて坂下まで進軍してきたそうなのです」
「え……っ!」
九月十五日に仁和寺宮嘉彰親王率いる軍が、会津討伐のため錦旗を奉じて坂下まで進軍しているとの報が入り、ご老公さまはじめ軍事局は大きな衝撃を受けた。
皇族の方が率いる軍ともなれば、まことの王師。
まだ幼い帝に代わり権力を掌握した薩長とはちがい、抵抗して戦い続ければ本物の朝敵となってしまう。
それでは「君側の奸を排除し、朝敵の汚名を雪ぐ」というわが藩の大義名分を失うことになる。
「それらを踏まえて、ご老公さまは降伏のお覚悟を決められた次第です」
たつ子さまの言葉を、万感の思いで聞く。
ーーーー降伏。ようやく戦が終わる。
もうこの戦に勝てる術はないと分かっていた。
ただひたすら抗い、家中すべての命と引き換えに西軍の非道な行いを世に問うしかない。
実際、城内の兵の士気はまだ衰えてなかった。
全員が城を枕に死ぬつもりで事に当たっていた。
けれど実際はもう限界だった。
綺麗事や武士の意地だけではどうしようもなかった。
内心はこの戦をどう終わらせるのか、それだけが気懸りだった。
ホッとした気持ちが沸いたと同時に、やはり悲しみと悔しさが入り混じる。
(会津が負けた……)
唇を噛みしめた。それは私の胸に重くのしかかった。
この長く苦しい戦いは犠牲が多すぎた。
城下は焼かれ焦土と化し、町や家屋を失い多くの人が亡くなった。
八郎さま、坂井さま、お祖母さまや勘吾など死んでいった人達が報われない気がしてくやしさが込み上げる。
しかしその反面、もうこんな戦いをせずに済むという救いもあった。残った者はとにかくこの死と隣り合わせの苦しい境遇から抜け出せるのだ。
心配なのはご老公さまやお殿さまの処遇だった。
降伏となれば、御二方のお命を差し出すことになるのだろうか。いやそれは重臣の方がたがなんとしてでも阻止するはず。
(補給路の確保を命じられていた父上や源太達は無事だろうか。高田が奪われてしまったなら………あるいは)
そんなわけないと首を振る。信じてる。
きっと戦が終われば、喜代美もみんなも帰ってくる。
胸の中で何度も自分に言い聞かせる。
そうでなければ………。
「さよりさん。気をしっかり持たないと、体力どころか生きる気力まで奪われてしまいますよ」
皆の胸にもさまざまな思いが去来しているだろうなか、たつ子さまの毅然とした声が響いた。
皆が、これからどうなるのかと不安な顔を彼女に向ける。
「皆さまもお気をしっかりお持ちください。その事は明日改めて御沙汰がございましょう。それよりご家族の方がたは、これをさよりさんを助ける好機とお考えになるべきです」
「こ…好機とは……?」
「さよりさんの容態は深刻です。このまま城内にいては命を落としかねません」
「………!」
母上のお顔からさらに血の気が失せる。助四郎も顔を歪めて拳を握った。ただでさえ降伏の話で衝撃を受けているのに、そんな顔をさせたことを申し訳なく思う。
「明日になれば、降伏と開城の日時が知らされましょう。
お城を出る前に近隣の村へ使いをやり、治療の出来る場所と医者を手配するのです。
西軍が割り当てる病院へ運ばれるのを待っていては手遅れになるやもしれません」
「たつ子さま……私はそれで構いません。たとえ命を落とすことになろうとも、それが天命なのでしょうから」
家族に迷惑が及ぶことを懸念して私が言うと、たつ子さまはこちらを向き、厳しい目で見下ろした。
「わたくしは許しません。あなたはここで死ぬような方ではないはずです。あれほど生意気でずけずけと物を申していたあなたが気弱なことを吐いてはなりません」
「たつ子さま……」
「あの源太という若党はどうしました。あの者に行かせなさい」
「源太は……源太は総攻撃が始まった日に、父に従い出陣いたしました」
源太の名を出されると表情が曇る。
彼を呼べない訳を話すとたつ子さまはため息をついた。
「なるほど。だからですか」
「?」
「あの者がいたなら、あなたがかような目に遭うはずがございませんでしょうから」
「!」
そうかもしれない。源太がいれば、私が調味料を探し歩くこともなかっただろうし、早苗さんとも会わなかったかもしれない。
けれどもそれではダメだった。源太がそばにいれば、私はどうしても寄りかかってしまう。
たつ子さまの言い様は、彼女なりに源太を評価してくれている表われかもしれなかった。
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