この空を羽ばたく鳥のように。
翌二十一日の早朝に助四郎はお城を出て行った。
助四郎の無事を案じながら、私はまたうつらうつらとした時を過ごした。
西軍からの砲撃は、朝方ニ•三発撃ち込まれただけで終わり、その後は完全な停戦となった。
静かになった城内に、ご老公さまより降伏開城の決意を認められた文書が、家中の藩士達に布達された。
しかし城内は未だ士気旺盛な者が多く、それらの者達は悲憤慷慨の涙を流し、降伏を潔しとしない藩士の幾人かが自害して果てたという。
降伏とお城の引き渡しは翌日の二十二日に決まった。
昼四ツ(午前10時)に城内の三ヶ所に『降伏』と墨書きした白旗を揚げることも定められた。
その白旗を用意するのは婦女子の役目だった。旗に使えるような白布はすべて包帯として使用していたため、多数の小布をかき集め、それを縫い合わせてようやく作るような有様だった。
横になる私の脇でも、母上やみどり姉さま、えつ子さまがあふれる涙を拭いながらその仕事に従事していた。
旗を縫う婦女子は涙が止まらなくて針先が少しも進まず、城内のあちこちですすり泣きが悲しく聞こえた。
そうして夜までかかって長さ三尺、幅二尺ほどの白旗を三枚縫い上げたのだった。
その夜半 私のもとに、凌霜隊軍医である小野三秋さまが訪ねてこられた。
「具合はどうです?」
家族に挨拶を済ませた後に私の脇に座り、穏やかに声をかけてくださる小野さまに苦笑してみせた。
「見たままの、なさけない姿です」
「どれ。診てもよろしいかな」
「失礼」と断りを入れてから、小野さまは私の着物の襟を広げた。包帯がわりに当てていた木綿布を取り払い、左鎖骨部分の傷口を診ると彼は瞬時に眉をひそめた。
「これは……」
「いいのです、小野さま。分かっているんです。ですから何もおっしゃらないでください」
やはり小野さまも刀による傷だと気づいたらしい。
家族がいる手前、私は焦って言葉を遮り、そこには触れないでほしいと目で訴えると、察した小野さまが小さく頷いてくださった。ホッとして小声で正直に話す。
「実は、右の脇腹にも……同じ傷があります」
「さようか。ではそちらも診てみよう」
襦袢の裾をまくり、腹に巻かれていた木綿布を緩める。
私も自分の傷口がどうなっているのか知らなかったので、痛みを堪えて少し頭を起こし、視線をそちらに向けてみた。
脇腹の傷は懐剣の幅より明らかに広がっていた。しかも傷口を無造作に縫ってある糸はなんと木綿の機糸のようだ。医療用の糸がとうに尽きていたため代用したのだろうか。
傷口は歪み膿汁が漏れ、白かった肌は赤黒く腫れあがって見るに耐えない状態だった。
(ひどい傷。なんて醜い……)
衝撃を受けた。
目を覚ました時は、どんなに痛みがあり、身体が動かず不自由を覚えても、生きてるだけでありがたいと思えた。
それでもこの身体に刻まれた傷を目の当たりにすると落胆は大きかった。
まだ嫁入り前だというのに。こんな傷を負った身体をとても喜代美には見せられない。
「ふむ……やはり膿んでいますね」
年頃の娘心などお構いなしに、小野さまは医師の目で爆風で負った肩や足の傷の状態もひととおり診ると、ご自分がお持ちになった黒革の四角い鞄から貴重な薬を出して傷口に当ててくださったので、落ち込んでいた気分もいっきに吹き飛び私はあわてた。
「小野さま……もったいのうございます。私なんかより、他の隊員の方がたのためにお使いください」
「遠慮は無用です。もう戦いは終わるのですから」
「では、凌霜隊の方がたも……?」
「はい。我々も異存なく、会津の方がたとともに降伏に応じることになりました。すでに同意書に全員の名を記して日向さまに届け出ております」
「さようでございますか……。小野さまにはずいぶんとお世話になりました。……先だっての助四郎の件も、戻るよう執りなしていただき本当に助かりました。小野さまには感謝しかございません」
心からの謝辞を述べると、小野さまは「とんでもない」と首を振り、表情に翳りを見せておっしゃった。
「それより……勘吾のことは残念でしたね」
勘吾の名が出て、悲しみをこらえるため私も家族も固く目を閉じた。
小野さまに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
医師として勘吾の腕の傷を治そうと尽力してくださったのに、すべてを無にしてしまったように思えた。
※悲憤慷慨……運命や世の不正などを悲しみいきどおって嘆くこと。
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